にしおか ただ、今後のためを考えれば必要なこともあると思うんです。で、後日、包括の職員さんが、家族の健康チェックという名目でウチに来てくださり、それでも母は自分を見にきたことに勘づいて、荒れて、私が疲れてしまい、介護保険サービスは受けていない。そんなグダグダな状況ですね。でも、包括ではプロ目線のアドバイスを色々いただけたので、やっぱり電話してよかったと思っています。

(包括の職員さんが家に訪ねてきた)夜。寝床で母が、隣のベッドで寝ている姉に「ママ、頭おかしくなっちゃった……ね、ママ今、頭おかしいんだよって、おかしい子に言っても仕方ないねえ全く……フフフどうしたらいいかねえフフフ」と。
壁も戸も薄情なほどに、母の声をこちらに通す。
笑ってるの? 何で笑うの? 一人で泣かないで。
結局ここで止まっている。要介護認定も何も取っていない。
(『ポンコツ一家』より)


「母と笑っている時間がいい」と思うから一緒にいる

 

――約2年半の同居生活を通して、今はどんなことを思っていますか。

にしおか もう「自分ファースト」でいこうと。やっぱり自分が元気じゃないと家族の誰も幸せにならないですから。例えば、「母と笑っている時間が好き」なので一緒にいたいなと思います。元気じゃないときに、先々のことを考えてもネガティブな未来しか描けないんです。母と姉と父を背中におぶって、土にめり込んでいく夢を見たりします。でも実際は誰から倒れて、病気なのか怪我なのか、想像したところで私自身がポンコツなので解決が見出せません。だったら、今日母と笑えたかなあ、まあまあ楽しかったかなあぐらいにしておきます。そのほうが私が健康でいられます。

――にしおかさんはにしおかさんの人生、お母様はお母様の人生がある。すごく当たり前のようですが、介護をしていると忘れがちになりそうです。

にしおか 母は元気です。今のところ排泄問題に直面しているわけでも、寝たきりでもないです。なので介護というと私の中では語るほど何もしていないなあと思います。そして「見守る」とか「寄り添う」はどうするのが正解なんだろうと、いつも迷ってばかりです。

例えば、母がかかりつけの病院に行く時、迷子になるといけない、でも頼る人がいると認知症の進行が早いと聞いたりもするので、一緒に出かけて母が前を歩いて、案内してもらう感じにしてるんです。私は見守っているつもりです。ただ、たまに少し道に迷いそうなときがあったりで、1人だとこのまま帰れなくなったりするのかなあと心配になります。だからといって母の行動範囲を狭めたり、自由を奪うようなことはしたくないです。母の人生ですから。それでどこかで倒れて帰らぬ人になったとしても、私は腹をくくっています。いやくくりきれてないなあ、後悔はします。難しいです。

 

「逃げ出す覚悟」は持っていたい


――介護という言葉には、「向き合う」「寄り添う」「覚悟」そんなイメージを漠然と持っていたんですが、にしおかさんのお話を聞いていると、そこまで考え込まなくてもいいのかもと思えてきます。

にしおか そこまで考えられていないが正直なところです。私はたまたま実家に帰って家族と一緒に暮らしていますが、それが良いとも悪いとも思ってないです。施設、遠くから身守る、介護する、しない、その人の選択肢があって当然ですし。私は、私自身が幸せじゃない、健康でいられないと感じたら、いつでも逃げ出す覚悟だけはあります。それは明日かもしれない、今日かもしれない。そんな時がきたら、それも書くかと思っています。それは私が元気に生きるために選択したことだから。

 
「ワルが入ってなきゃいいよ。そんな単純じゃないだろ。そんなきれいごとじゃないでしょ。それがウチで、それを書いてるんでしょう。あんたはあんたらしく胸を張りなさい。堂々と気持ちを伝えなさい。ウチらはどこにでもある普通の『ボンクラ一家』ですって」
――家族に内緒で執筆していた『ポンコツ一家』のweb連載初回が公開された日、お母様がにしおかさんに伝えた一言(『ポンコツ一家』より)

<新刊紹介>
『ポンコツ一家』

著者:にしおかすみこ 講談社 1540円(税込)

“どんな状況だって、病気だって、「ポンコツ」な人はいない。でも、愛を持って私は家族を「ポンコツ」と呼ぶ”。そう語るのは、著者のにしおかすみこさん。コロナ禍に帰った実家、ゴミの山でポツンと座っていた母親がアルツハイマー型認知症と診断され、にしおかさんは二十数年ぶりに家族との同居生活を始めます。認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父。思い通りにはいかない生活に翻弄されながらも、家族が家族のためを思い、時には派手に喧嘩しながら日々を積み重ねていく姿をユーモアたっぷりに描く、笑いと勇気と涙をもらえる珠玉のエッセイ。


撮影/中垣美沙
取材・文/金澤英恵
構成/山崎 恵