宇野昌磨選手・坂本花織選手による日本初の連覇。りくりゅう(三浦璃来選手、木原龍一選手組)による日本勢初の年間グランドスラム達成。さらに、日本初の3カテゴリー制覇。かなだい(村元哉中選手、高橋大輔選手組)の日本歴代最高位タイ。と記録づくめだった世界フィギュアスケート選手権。
国内外を問わず、どの選手もそれぞれ輝きを放ちましたが、中でも忘れ得ぬきらめきを観る者の胸に焼きつけたのが、友野一希選手です。
ショートプログラム(SP)、フリースケーティング(FS)共に転倒はあったものの、綻びを感じさせない圧巻のパフォーマンスで6位入賞。特にFSはミスはありながらも180.73点をマークし、パーソナルベストを更新。満員のさいたまスーパーアリーナを総立ちにさせました。
これで、世界選手権は3度出場し、3度共に自己ベストを記録。驚異の本番強さの秘密はどこにあるのか。期待に応える友野選手の強さをお伝えするためにも、まずはその歩みを辿るところから始めていきたいと思います。
決して将来を嘱望される選手ではなかった少年時代
1998年、大阪府堺市生まれ。4歳でスケートを始めた友野選手ですが、決して当初から将来を嘱望されていたわけではありませんでした。その証拠のひとつが、「野辺山合宿」。これは、ノービス(その年の7月1日時点で9~12歳)の男女を対象に、全国各地から将来有望なスケーターを集める強化合宿で、1期生からはトリノ五輪金メダリストの荒川静香さんを輩出。その後も、高橋大輔さん、安藤美姫さん、浅田真央さん、羽生結弦さんら、歴代の世界チャンピオンがこの「野辺山合宿」を経て世界へ羽ばたいていきました。
宇野昌磨選手、山本草太選手、佐藤駿選手、三浦佳生選手ら現役の代表候補も「野辺山合宿」を経験済み。しかし、友野選手は「野辺山合宿」に参加したことはありません。つまり、その当時は決して未来の代表候補と目されていたわけではなかったのです。事実、ジュニア時代は、ジュニアグランプリシリーズの選考会に3年連続で落選。選考会に呼ばれた選手の中で自分だけ落ちるという悔しさを噛みしめながら家路に着いた年もありました。
ごく普通に地上波のテレビで試合が放送されているため、つい錯覚してしまいがちですが、私たちの見ているフィギュアスケートはあくまでアマチュア競技。大半の選手が学生であり、大学卒業と同時に引退します。
友野選手もまた『ジャパニーズ・ドール』や『犬のおまわりさんの運命』など個性あふれるプログラムでスケートファンから愛されながらも国内トップへの道のりは険しく、大学を卒業したら競技の世界から退くつもりだったと本人も明かしていました。
それが、2018年、初めての世界選手権で5位入賞。ただの学生スポーツで終わるはずが、世界のTOMONOへ。ここから一気に友野選手のスケート人生が変わっていったのです。
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