最近、世の中のさまざまな事柄に関して、顕著な「考え方の二極化」が進んでいます。
コロナ禍がきっかけで、これまで価値観が合った相手とでも、考え方が合わなくなってきていることも少なくありません。
なぜ、「考え方の二極化」が起こっているのかについて、考えてみたいと思います。

 

二極化の理由1:「自分で情報を調べる人」と「調べない人」の違い

 

私自身、コロナ禍がおさまり、久々に会った友人と話していたら、考え方にズレを感じたこともありました。
一瞬、「価値観が合わなくなったのかな?」と思ったのですが、そうではなく、「日頃、触れている情報が違う」のが原因なのですよね。
逆を言えば、同じ情報に接していたら、これまで通り、意見は似る可能性は高いのです。それくらい私たちは、日々触れる情報に影響を受けてしまうところがあるのでしょう。

特に、「自分で情報を調べる人」と「調べない人」で、思考の隔たりが顕著になっていることを感じました。
これは言い換えると、「受動的に流れてくる情報ばかりでなく、SNSなどで現場の人の声をチェックしたり、専門家による本を読んだりしながら、自分でも正解を探す人」と、「ただただ流れてくる情報に受け身でいる人」の違いと言ってもいいかもいいかもしれません。

ただし、SNSの情報は、玉石混交


もちろんSNSでは、信ぴょう性のある情報ばかりでなく、デマもあるので、なにを取り入れるかは、自分なりの判断が必要です。
ただし、どんな情報もはじめからデマだと決めつけないで、柔軟性を持って「そういう可能性もあるかもしれない」と保留にしておくほうがいいです。場合によっては、「実は保留にしていた情報のほうが正しかった」ということもあるからです。

「そんなことをしていたら、どうしたらいいのか迷ってしまう」という人もいるでしょうが、迷うことも大切です。
もちろん何が正しくて、間違っているのか、分からないことも多いのですが、“自分にとっての答え”を見つけることは大事。“答えを出してくれる誰か”に依存するのではなく、そういった意見も参考にして、自分で答えを出すのです。

ちなみに私の場合は、「もし、この情報が正しかったら、自分はどうしたらいいのか」「逆に、間違っていたら、この情報を信じて行動してしまったときには、どんなリスクがあるのか」の両方を考えて、リスクの少ない手段を選ぶようにしています。

情報の鵜呑み、誘導されることは避けるべし!


個人的には、「情報に誘導されないこと」は大事だと考えています。あらゆる情報はなにかしらの意図があって発信されているので(※逆に意図のない発信は、何を言っているのか分からない情報になるので、当然のことなのですが)、そこにあるメッセージをきちんと感じながら、流されないで“自分の意見”も持つ作業が必要です。

なぜなら、最終的に、自分の人生に責任を持つのは、自分自身だからです。
人は、自分が出した答えであれば、たとえ間違ったとしても、責任をとれます。そのときは、「間違ったのは仕方ないこと」として、反省して次に進みやすくなることも多いのです。
逆に、ただただ受け身で鵜呑みにした場合は、被害者意識を抱いたままになりがち。その被害者意識……相手が悪くて、自分は悪くない。相手が変わらないと、自分も変われないという考えを持てば持つほど、心の回復が遅くなり、次に進みにくくなってしまうのです。だから、できるだけ答えを出すのは、人任せにしないほうがいいでしょう。

次に紹介する「二極化の理由」は、現在、大きな問題になっていることです。それについては次のページでご覧ください。

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【漫画】「考え方の二極化」から見える背景とは?
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