社会が女性に押し付ける生き方の「仮面」


さておき。ここで触れておきたいのは、物語の中に象徴的に登場する「仮面」について。登場人物たちは、ある者は仮面によって正体や本心を隠し、時に別の人間のようにふるまい、ある者は仮面をとることで――そして時に仮面をつけることで、心をさらけ出します。

 

小泉:最初に読んだ時には、その点については気づいていなかったですね。エミーリアと、先生の友人だった高級娼婦クラウディア、楽譜の捜索を依頼した貴族女性ヴェロニカの3人が、仮面をとることで友情で結ばれてゆく場面があるのですが、特に印象的ですよね。確かに作品に出てくる仮面にはペルソナ的なものも感じます。でも同時に、互いの素顔を見たことがないエミーリアと「カーニバルの男」の関係について、クラウディアは「魂が響き合ったということ、それこそが本当の愛よ」とも言うんです。

※周囲に適応するあまり、もしくは自分や周囲が苦痛から逃れるために演じてしまう偽りの自分

 

エミーリアと「カーニバルの男」は、司祭でもあったヴィヴァルディと娼婦・クラウディアの関係の相似形にも思えます。二人の関係は「商売抜き、その辺の男と女と同じ」なのですが、世間は「司祭と娼婦」の許しがたい関係と断罪します。「コルティジャーナ(高級娼婦)が金で男と寝るより、司祭と愛し合うほうが糾弾されるのはどうしてなのかしら」とクラウディア。孤児、娼婦、貴族……そんな仮面を、社会は彼女たちに押し付け縛ろうとします。