不登校や引きこもりの本人に会うことは実はあまりないので、驚いて話を聞いてみると、

「最近、お父さんとお母さんが冷たいです。前はあんなに一生懸命、僕のために不登校の親の会に行ったり、精神科の先生に相談に行ったりしていたのに、お母さんは趣味を極めると言って中国に行って帰ってこないし、お父さんは仕事が忙しいと言って家に帰ってこないのです。今日は、これから自分はどんな人生を生きたらいいのかを相談しに来ました。」

と言いました。

ここから初めて、お子さんの人生がテーマになったのです。親が自分の人生を生きた結果、子ども自身が自分の人生に向き合うようになったのです。

――ドラマティックな展開ですね。

子どもと認知症の父から見る「今を生きる」こと

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――本書を読んでみて、今が準備期間だと思っている方がとても多い気がしました。

岸見:かなり多いです。でも本当は「今を生きる」ことが大事なのです。今しか生きられないのですから。
過去には戻れないのだから、後悔しても仕方ありません。未来に不安を持つ人もいますが、未来はまだ来ていないというより、ないのです。だから、不安になっても意味がありません。明日のことは明日考えればいいのです。

 

子どもは、今日一日を力いっぱい生きています。私の孫を見ていると、昼間は思いっきり遊んで、帰りの車の中で寝ます。明日は早く寝なくてはいけないなどとは考えないで、今日を生きているのです。私達もそういう生き方をしていけない理由はありません。

認知症を患っていた父親の話をしましょう。私の母は早くに亡くなっているのですが、父は認知症になって、今し方のことだけでなく、母のことも忘れてしまいました。

しかし、時折霧が晴れるように記憶が蘇る時がありました。
すると過去のことを思い出したり、未来のことを思って不安になりました。
普段は、過去も未来もない状態で生きているので、幸せそうに見えます。

我々から見たら、過去も未来も失ってしまった親はかわいそうだとか、つらいだろうなと思うかもしれませんが、父は人間の生き方の理想を生きていると思いました。今日を生きる子どもと同じです。

そう思うと、親に対する見方も変わってきます。
過去にどんなことがあっても、今日この日は仲良くしようと思ったら、明るく接することができます。

親はいつかは死んでしまいますが、その死は一度きりしかありません。だったら、いつ死ぬのだろうかと思い悩むよりも、とにかく今日という一日を、親と喧嘩をしないで過ごそうと決心をすることです。

「今日一日は仲良くしていよう」ということを積み重ねていったら、後悔はしないですみます。