私は驚いて青木さんの顔を見た。入院してから、ここに来たのは夫だけ。誰かと間違えているに違いない。

「えー、昨日の午後、梶谷さんがシャワー浴びてる間にいらしたよ、お母さん。私がうとうとしてた時……夕方だったかな? ベッドのサイドテーブル片づけてて。寝たまま挨拶したら『いつも由香がお世話になっています』ってすっごく丁寧に頭を下げてらしたよ」

「え、ええッ!? そんな……お義母さんはね、和歌山で、足が悪いからこっちには来れないのよ……」

どういうこと? 青木さんもきょとんとしている。嘘をついているようには思えない。

「ベッドを間違えたとか……? ほかに何か言ってた?」

「うーんと、どうだったかな、私も眠くてふらふらでねえ。あ、そうだ、ルームシューズをね、荷物入れに入れてたよ! 由香ちゃん薄いスリッパで歩きにくいっていってたでしょ? だから持ってきてくれたんじゃないかな? あと、引き出しに手紙みたいなのを入れて、ちょっと拝むみたいな? 祈るみたいなしぐさしてたな」

 

私は驚いて、新生児室に赤ちゃんを預けると、急いで4人部屋に戻った。まさかとは思うが、泥棒かもしれない。お義母さんは車いすだから、1人でくるはずはないし、立ち上がることもないはず。

ベッドサイドの貴重品用金庫がある荷物入れをあけると、そこには……青木さんのいう通り、真っ白い、ふかふかのルームシューズがおいてあった。

 

私が通販で買って、でもちょっと産院では不釣り合いかな? と思って家に置いてきたはずのルームシューズ。

「なんで……?」

恐る恐る引き出しも開ける。するとそこには……赤ちゃんの名前候補のうちのひとつを書いたメモが、奇妙にまっすぐに、引き出しの真ん中に置かれていた。

私がひとつずつ名前を書いて、ベッドで見比べていた2枚の紙。そのうち、なぜかそこには1枚しかない。引き出しのなかに、それは意志を持って置かれていた。

「……お母さん?」

10年も前に逝ってしまった、私の大好きなお母さん。

まさか……ルームシューズ、届けてくれた……? いや、夫が内緒で来た? でも青木さんは言った。小柄な女性だと。

「梶谷さん、大丈夫?」

走って授乳室を出ていった私を心配したのか、部屋に戻ってきた青木さんが声をかけてくれる。

「あれ? それ、もしかして赤ちゃんの名前!? うわあ、可愛いね。あ、そうそう、その紙! あのときお母さん、それを引き出しに入れてたよ」

「お母さんが? じゃあこの名前を、赤ちゃんに選んでくれたの……?」

そんなおとぎ話みたいな怪談があるはずがない。

――そう思うのに。

理屈を超えて、涙があふれた。お母さん。私のお母さん。

「梶谷さん? どした? 大丈夫だよー、大丈夫」

びっくりしながらも、私の背中を撫でてくれる青木さんの手が温かい。

私はその温もりを感じながら久しぶりにわんわん泣いた。同時に胸のモヤモヤが少しずつ、剥がれ落ちていく。

もう少しだけ泣いたらば、涙を拭いて、元気な私で新生児室に迎えに行こう。

彼女の名前は梶谷百花。私の、可愛いひとり娘だ。

【第37話予告】
38歳にして初めて小説を出版することになった彼女。電話したのは……?

秋の夜長、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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イラスト/Semo
構成/山本理沙

 

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