「障害者は下駄を履かされている」と言われることがある


――障害者がテレビで活躍できない現状に触れると、「実力があればテレビも放っておかない」みたいに、本人の実力の問題だと言う人がいるそうですね。ほかにも、「障害者は下駄を履かされている」だとか、「同情と物珍しさでR-1の決勝に残ったんだろう」とか、そういうことを言ってくる人がいるとYouTubeチャンネルでおっしゃっていましたね。でも実際は、テレビでは障害者というだけで活躍の場が限られているという現状があるわけですから、障害がない人のほうが下駄を履かされているんじゃないかと思います。

濱田:そうですね。下駄を履かされている・履かされていないでいうと、実際は逆かなっていう感じはしますね。障害っていうものがあったからR-1の決勝に残れたんだろうとか、物珍しさであげてもらえたんだろうって言われるけど、そもそも障害なんて下駄ではR-1の決勝には残れないです。同情と物珍しさで勝ち上がれるほど、お笑いの大会の予選って甘くない。本当のお笑い好きならきっとそこもわかってるはずです。だからそれを言ってくる人っていうのはもうお笑い芸人に対してのリスペクトがない。自分がいくらお笑い好きって言っていたとしても、お笑い好きじゃない人なんやろうなって僕は思うようにしてますね。

 

――濱田さんはご自身の障害をネタにされることがありますが、以前インタビューで、


「僕としては、同情されようが嫌な目で見られようが、面白いほうに転がって笑ってくれさえすればそれでいいと考えているんです。お客さんの中に、障がいのある人がネタをやることに対して『可哀想』とか『痛々しい』と思う人が一定数いるのは仕方がありません。そのことが理由で『笑えない』と言われてしまえば、それもまたどうしようもないことだと思いますね。」

(WEBザテレビジョン 濱田祐太郎、テレビ界への持論「障がい者にもっと優しくなってほしい」真の“多様性”を説く)
 


とおっしゃっていました。お笑いをやる上で、全ての人に受け入れられるということはもう考えずに、分かる人が分かってくれたらいいと割り切っているという感じなんですか?

濱田:そうですね。みんなから愛されるキャラクターっていう芸人もいますし、一部の人からすごく支持される芸人もいるんで、芸風にもよるでしょうけど。僕の場合は、みんなから愛されるっていうのは無理だなっていうのはわかってるんです。じゃあ自分のやりたいお笑いをとことんやろうっていう感じですね。