「障害がある人をイジっていいのかどうか」に思うこと


​―​―「僕は目が見えないということをネタにするし、周りの方々もそれを気兼ねなく扱ってもらえるのが理想」(マイナビニュース 濱田祐太郎、R-1優勝後に感じた“テレビの壁”「目が見えないことを気兼ねなく扱ってもらえるのが理想」)ともおっしゃっていましたね。

濱田:別に僕だけじゃなくて、障害があるお笑い芸人が他の障害のない人と共演するときに話題になるのが、「障害がある人をイジっていいのかどうか」っていうことなんです。でも、「いやいや何言うてんねん」と。僕だってお前らのことめっちゃイジるからなっていうのはずっと思ってるんですね。R-1ぐらんぷりで優勝した直後ぐらいに、鈴木おさむさんがご自身の連載で「濱田祐太郎を落とし穴に落とせるか?」ということを書かれていて。それを読んで、僕が落とす側に回ってもええんちゃうか? っていうのは思いました。

 

ーーどうして障害があると、想定されるのが「ドッキリを仕掛けられる側」だけなのかということですよね。

濱田:障害がある人に想定されるのが、「何かされる側」「イジられる側」という思考で止まっている人たちの発想は貧相だなと思います。

 

    
ーー「お笑いとコンプライアンス」の問題が何かと話題になりますが、不謹慎な笑いが基本アウトになりつつあります。例えば見た目の特徴であったりとか、いろんな特徴を自虐的に話したりして自分で笑いに変えていく芸人さんって結構いるじゃないですか。でもそれをいざ周りが笑うと、最近では視聴者から批判がくるようになりましたよね。そういう流れに対してはどう思っていますか。


濱田:仕事の種類にもよると思いますけど、テレビの仕事に限って言うと、どういう内容の依頼か説明があって、それを引き受けた時点で芸人はその仕事を「やる」って言ってるんです。そのこと自体をひっくり返すようなことを言われる筋合いはないかなとずっと思っています。あくまでプロが笑いのためにやっていることなんです。芸人さんって、テレビに出てるときの姿と普段の姿は違う人が多い。スイッチのオンオフみたいな言い方をするんでしょうけど、テレビに映ってる瞬間とか舞台上にいる瞬間っていうのは、もう視聴者やお客さんに見せるものとしてやってる。その中で起きてることの話ですから。イジってる方もイジられる方も金銭的に同じだけの利益がある。でも、それを素人が真に受けて自分がやることが「イジり」だと思い込むのは違うと思います。いやお前がやってるのは「いじめ」やけどっていうこともあると思うんです。

テレビにはテレビの事情があるんでしょうけど、はっきり言って不謹慎な笑いだったとしても、劇場に来てくれるお客さんって内容が面白かったら笑ってくれるんです。あと、テレビでやってる笑いの中で、普通に芸人さん同士が軽口を叩くような笑いのとり方がありますけど、 同じぐらいの内容のものだったとしても、それをやっているのが障害のある人だったらアウトになるっていうのはおかしいかなって思いますね。テレビのコンプライアンスは障害者にやたら厳しいなと感じます。


インタビュー後編
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写真:Shutterstock
取材・文/ヒオカ