神宮前の交差点を渡る。当時はまだ左手にGAPの旗艦店があって、カラフルな洋服の外国人モデルのポスターが僕を見下ろしてくる。その横を通り過ぎて、緩やかな坂になった並木道を上る。できて間もない表参道ヒルズが降り注ぐ陽光をぴかぴかに跳ね返す。街の人々はみんな幸せそうで、世界には何の憎しみも災いもないように思えた。

そして気づいたら、僕は泣いていた。泣くつもりなんてなかったし、自分が泣いていることに何より自分がびっくりしていた。頬に手を当てると、じんわり熱く濡れている。

「あれ? なんでやろ? ごめん。あれ?」

架空の通話相手に、僕は謝罪する。それでも涙は止まらなくて、言葉はすべて鼻を啜る音に溶けて消える。こらえきれないように、額に腕を当てて、僕は絞り出すように一言だけ呟いた。

「しんどい」

当然、スピーカーの向こうから慰めの言葉は返ってこない。それがわかっているから、僕は安心して愚痴をこぼせた。

「何やろなあ。頑張っているつもりなんやけど」

相槌もしない。励ましもしない。この世のどこにもつながっていない電話に、僕はただ喋り続ける。道行く人は、僕のことなど誰も目にとめない。そうか、電話をしているフリをしていれば、ひとりで泣いても心配されないし怪訝にも思われないんだな、と僕はなんだか万有引力の法則を発見したニュートンみたいな気分になる。

大人がいつも困るのは、泣く場所だ。たまに思い切り泣きたいときがあって。だけど、周囲に気を遣わせるのは嫌で。だからと言って、ひとりで泣くのはちょっと寂しくて。そんなワガママな僕には、電話をかけているフリをしながら道端で泣くというのは、最高の泣き場所だった。

適度な人の気配。でも、誰にも干渉されない。ただ、電話の向こうの、僕も知らない友達に、自分の気持ちを打ち明ければいいだけ。家の中でひっそり涙を流すより、都会のど真ん中で泣く方が、ちょっと開放的になれるのも爽快だった。

以来、僕はなんとなくダウナーな気分になると、よく電話をかけているフリをして道を歩くようになった。あのときの表参道みたいに泣くこともあるし、ただの雑談で終わることもある。共通しているのは、いつも通話ボタンを切るときは、心が軽くなっていることだ。

 

そして、街を歩くたび、電話で話している人を見かけると、実はあの人も本当はどこにもかけていなくて、架空の通話相手とお喋りしているのかもしれないと思うようになった。実際にはそんなことはないのだろうけれど、そう考えるだけで、ほんのちょっと通り過ぎただけの誰かのことが愛らしく思えてくる。

もう15年以上の付き合いになるけど、架空の通話相手はつい長話になる僕の電話にいつも居留守を使わず出てくれる。これは、人に相談するのも、泣くのも下手くそな僕の、ちょっとした発明なのだ。

 
 

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イラスト/millitsuka
構成/山崎 恵
 

 

 

前回記事「行きの飛行機に乗り遅れ、現地ではネットに繋がれず...海外旅行が向いてなすぎる僕の話」はこちら>>

 
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