桜の木の下には……

私は吉田さまの思いがけないお話に、カットは終わっているのにハサミを持ったまま、聞き入ってしまった。

「そうなんですね……ご主人さまはお幸せですね。好き勝手に生きて、吉田さまみたいな方にそこまで想ってもらえるなんて」

私は思わずご主人を悪く言ってしまったことにちょっと焦りながら、ケープを急いで取って鏡を持ってきた。

「まあまあ、うふふ、貴女優しいわね。大丈夫よ、きっとあなたの結婚生活はまた潮目が変われば調子が出てくると思うわ。焦らないことよ、私もね、焦るのはもうやめたの。そして考えすぎるのもよくないわ。

あらあ、素敵な髪型ね。やっぱり違うわね、本当にありがとう。

あの人も天国で悔しがるわね、古女房がすっかり見違えて」

鏡越しに、吉田さまは微笑んだ。

天国。確かにそう言った。

 

大きな桜の木がある庭の、女主。どうして彼女はそこを引っ越さないのだろう? 夫はどこに行ったのか。本当に女と駆け落ちした?

それとも……。

「本当ですね、吉田さま。考えすぎは良くありませんね。ろくなことがありません」

沈黙が横たわった。けれどそれはどこか心地よい、連帯のそれだった。私は考えるのも詮索するのもおしまいにして、彼女の髪に、丁寧にトリートメントをつけていく。

 

次回予告
葬儀屋さんでアルバイトを始めた彼女にある女性が近づいて……?

小説/佐野倫子
イラスト/Semo
構成/山本理沙

 

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