認知症にならずに長生きをしたらどうなる?明晰であり続ける悲劇

 

認知症にだけはなりたくないと、頑なに思い続ける人は少なくないでしょう。それは悪い先入観に洗脳されて、思考停止に陥っているからだと思います。

その頭を解きほぐすため、逆のことを考えてみましょう。すなわち、認知症にならずに長生きをしたらどうなるのか。

実際、恐ろしいことですが、現実から目を背けずに考えるなら、過酷な状況が思い浮かびます。先にも書いた通り、長生きをするというのは年を取るということですから、どんどん老化が進み、あちこちに不具合が生じます。

 


私が在宅医療で診ていたOさん(88歳・女性)は、脳梗塞とフレイル(老化による虚弱)で、完全に寝たきりとなり、介護施設に入っていました。ふだんから頭はしっかりしていて、施設の職員が「おばあちゃん」と呼びかけると、「わたしはあなたの祖母ではありません。きちんと名前を呼んでください」と言うほど気の強いところもありました。

診察のとき、「お加減はいかがですか」と訊ねると、それだけで悲しみがこみ上げてくるのか、何度も大泣きされました。何がそんなに悲しいのですかと聞くと、かすれた声で、「みなさんに、迷惑ばかりをおかけして」と、細かい皺の寄った顔を歪めて悔し涙をこぼすのです。

Oさんは元小学校の教諭で、児童たちに「大人になったら人に迷惑をかけるような人間になってはいけません」と厳しく教えてきたそうです。その自分が今、介護で迷惑をかける人間になってしまった、それが情けないというわけです。

「介護は迷惑ではありませんよ。Oさんが悪いわけでもないし、みんな年を取れば当たり前のことですから、どうか気に病まないでください」

そう宥めても、「わたしは自分が許せないんです」と、受け入れてもらえません。頭が明晰であるため、今の不如意な状況がすべて認識され、老いのつらさがいっそう深く心に突き刺さるのでしょう。