女性の参加を難しくする「ふんどしルール」は社会のいろんなところに存在する


この神事に限らず、男性だけの祭りは日本各地にあります。昔なら「女性は血の穢れがあって不浄だから神事はダメ」などと言われたかもしれないけど、今はさすがにそれは女性差別発言だよねという社会通念があります。しかしそうは言わなくても例えば「ふんどし姿じゃないとダメ」というしきたりがあれば、実質的に女性の参加は難しくなります。

写真:Shutterstock

例のふんどしマストのお祭りでは、思わぬ疫病の流行で、感染防止のためにやむを得ず着衣で神事が行われました。着衣の前例ができた好機を捉えて、女性たちは参加希望を表明。「ふんどしをやめろ」とは言っていません。ふんどしも着衣もどっちもアリなら、神事に参加できる人が増えます。参加者が増えれば、より良いリーダーも見つけやすくなるでしょう。

 


この話はお祭りだけじゃなくて、地元の議会や国会でも同じじゃないでしょうか。日本の議会は、世界でも最悪レベルの強固な男性社会。女性候補者や女性議員に対するセクハラやいじめもあります。でも地域や国の持続可能性を考えたら、リーダーを人口の半分から選ぶのと、その倍の人数から選ぶのでは、後者の方がいいのは明らかですよね。もちろん、男性議員は出て行け! なんて言っていません。男性ではない議員も増やそうと言っているのです。

ジェンダー平等の話になると「女が男の世界に混ざろうとしている」「女が男に文句をつけて引き摺り下ろそうとしている」と嫌がる人がいますが、そうではありません。ジェンダー平等は、誰も性別を理由に不当な扱いを受けることがないようにしようということです。そのために一緒に知恵を絞って新しい仕組みを考える、つまりは共に新しい世界を生きることなんですよね。

女性議員を増やすのは、男性の政治に女性の感性を持ち込むためではありません。政治の世界への参入が難しかった人々に門戸を開いて、旧来のまつりごとの形を更新するためです。男性にも女性にもいろんな人がいて、異なる事情があることを前提に、ではどうやったら住みやすい世の中が作れるかを考えるのです。男性だって、今のままで十分幸せで心地いい人ばかりではないでしょう。ふんどしが苦手な人も、法被を着たい人もいるはずなのです。