「インティマシーコーディネーター」の描かれ方に困惑

『不適切にもほどがある!』は昭和アゲ・令和サゲではなく「時代の反省を生かし変われるか」を投げかけている...と願いたい理由_img0
写真:Shutterstock

もちろん、一部そういう側面があるのも事実です。でも実際は、まだまだセクハラやパワハラが横行し、相談したって「そんなことで?」と取り合ってもらえない現状です。ハラスメントという概念は、自分がされていることが何かを理解するため、他人にしてはいけないことを認識するために必要なもの。ハラスメントという言葉の重みを薄れさせてはいけないと思うんです。

時代の変化を茶化すシーンは他にもたくさんありました。批判の声が多く上がったのが、4話に登場した「インティマシーコーディネーター」(※)の登場シーン。

※性描写や露出を伴う「インティマシー(親密な)・シーン」を撮影するうえで、制作側の意図を汲みつつ、俳優のからだやこころの不安に寄り添い、調整するスタッフのこと(小説丸・源流の人 第31回 ◇ 浅田智穂 (インティマシー・コーディネーター、通訳)より)

インティマシーコーディネーターはまだまだ日本では認知が進んでおらず、丁寧な描き方が求められる職業ですが、やはり茶化すような描かれ方をされていて、視聴者だけでなく、実際にインティマシーコーディネーターをされている方からも困惑の声が上がっていました。

内容への疑問を呈すると、コメディーなんだから全方位を茶化すのが作法、真面目さや正しさを求めるのはお門違い、という声が必ず上がります。でも、違和感や懸念の声を上げる人に、「ネタなんだからいちいち気にするな」っていうのって、まるでいじめっ子が「ネタじゃん、マジにすんなよ」と言うみたいだなと思います。批判している人たちは本作がコメディーであり、あえて茶化しているということなんて重々承知の上で、それでも問題があると言っているのでしょう。

 


「考えさせる」ための補助線が引かれていない

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あえて茶化してネタにすることで、形骸化したコンプラや、形だけで内実が伴なわない「なんちゃって働き方改革」、「ハラスメントにならないようにさえしておけばいい」と思考停止する現代を風刺・問題提起しているんだという声もあります。

それにしても、コンプラや多様性の尊重がなぜ必要なのか? と考えさせるような補助線が引かれているわけではないので、どうしてもコンプラや多様性自体や、それを主張する人を馬鹿にしているような印象を受けてしまうんですよね。印象というか、意図にかかわらず、そう見せてしまう強烈な効果が働いてしまっている。実際コンプラや多様性を馬鹿にする人は現実にたくさんいますし、ドラマを見た人の感想でも、「やっぱりコンプラや多様性が行きすぎた令和は生きづらいよね」「昭和は自由でよかった」みたいなものが散見されます。