—— さきほど、非常に気を遣いながら娘さんと添い寝されていたと伺いましたが、添い寝はいつまで続きましたか?

小学5年のころ、寝室を別にしました。

というのも、私が体力的に限界になってしまい「ごめんね、お母さんも胸が苦しくなってきたから、ゆっくり寝たいの」と謝りながら……。

最初の1週間ほどは相当怒っていましたが、次第に一人寝に慣れてくれました。その後、私の帰宅時間が多少遅くなっても、私の両親やヘルパーさんと大人しく待っていてくれるようになりました。

気がつくとそのころには、娘の多動が収まっていました。

動作はゆっくりになり、日々の見通しを理解し、時計は読めないはずなのに、出かける10分前には準備が整うようになり、私をせかすようになりました。

娘の場合、徐々に認知能力が上がり、周囲のことが理解でき、見通しが持てるようになることで精神的に安定し、動き回るというようなことはなくなりした。

—— お話を伺えば伺うほど、娘さんが心から安らげる場所で、健やかに過ごしていくことで成長していったということが感じられますね。

日曜日は、翌日の愛育学園が楽しみ過ぎて、昼食を終えると、「もうお風呂に入って寝る」と言い出すこともありました。

娘は14歳ごろまでオムツをしていましたが、小5の終わりごろには、尿意をもよおすと、自らトイレに行こうとするようになってきました。

—— かけがえのない、宝物のような6年間だったのですね。

はい。卒業は2020年3月でした。

その年の2月、コロナ禍で卒業を目前にいきなり休校が始まりましたが、愛育学園は娘が安心して卒業できるよう、週に数回、担任の先生が校庭などで数時間一緒に遊んでくれました。

卒業課題の絵画も完成し、無事に卒業式を迎えることができたのです。

【障がい児を育てながら働く⑪】多動だった娘が「1人で眠り、宿泊行事に参加する」ほどにまで…小学校の6年間で感じた、めざましい成長_img0
コロナ禍で行われた卒業式でしたが、多くの在校生親子や先生方がお祝いしてくださいました。

6年生は娘を含め2人。未曽有の感染症に対する不安が広がる最中でしたが、卒業式には、マスクをした多くの在校生親子や先生方が参列してくださいました。

「これからは、娘さんに意見を聞いて、一緒に決めていってください」

小学2年から6年までお世話になった担任の先生に、卒業時にアドバイスをお願いしたときにいただいた言葉です。

いつも心に刻んで、今日も娘に尋ねています。


「今日の朝のフルーツは、りんごにする? みかんにする?」
「ママが(会社に)着ていく服はどっちが似合うと思う?」
「歯ブラシを交換する時期だけど、どっちの色の歯ブラシがいい?」

自閉症の娘と対話を重ねていくと、言語による意思表示はかすかですが、思いがしっかりとあり、よく周囲を見ているなと思います。でも、果たして今の日本は、障がい者当事者の意思を尊重している世の中になっているのでしょうか?

将来、娘が意思表示することによってつらい目にあわないように、今、私に何ができるか、考え続けています。

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著者プロフィール
工藤さほ

1972年12月生まれ。上智大学文学部英文科卒。1995年朝日新聞社に入社。前橋、福島支局をへて、東京本社学芸部、名古屋本社学芸部、東京本社文化部で家庭面、ファッション面を担当。2012年育休明けからお客様オフィス、2019年から編集局フォトアーカイブ編集部。こども家庭審議会成育医療等分科会委員。
東京都出身。

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構成・文/工藤さほ
編集/立原由華里

 


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