推しの背中を押すために、今日も語彙力を磨き続ける
僕の住まいは若手俳優沼なので、ここでは推しの芝居をどう語るかについて書きますが、僕がやっているのはとにかく解像度を上げることです。
お芝居って正解のないものだから、最終的には心に響いたかどうかが判断基準。難しいことは考えず、自分はいったいこの人のお芝居の何がこんなに好きなのか一生懸命突きつめてみます。
たとえばドラマなら、ハッとしたワンシーンをまず切り出してみる。そして、そこで推しが何をしたのか(あるいは何をしなかったのか)細かく因数分解していきます。
たとえばラブシーンなら相手を見つめたときの目の潤みにグッと来たのか。あるいは、ふっと一瞬視線をそらしたときのたじろぎに感情が伝わってきたのか。もしかしたら、表情だけではなく、相手を引き寄せたときの腕の力の強さに、鼓動の高まりが漏れ出ていたのかもしれない。かすかに震える唇にリアルを感じることだってあります。
ふわっといいと思ったものを、一度立ち止まって、なぜそう感じたのかを考えてみる。これ、やってみるとめちゃくちゃ楽しい時間で。好きな人のことをとりとめもなく考えているだけで、心が満ち満ちてくるので、推しは最高のおうち時間の過ごし方。
あるいは、もっと感覚的なものだっていいんです。たとえば、僕はこの間、推しの芝居について書いたときに、「夏草の匂い」と表現したのですが、映像ですから匂いが伝わってくるはずはなく。誇張と言われたら、それまでです。でも、本来なら感じるはずのないものを感じるのが、見えるはずのないものが見えるのが、お芝居の面白さ。だから、自分の胸の中に広がった景色をそのまま書いたって何も間違いじゃない。ポエムと笑われたら、正々堂々こう言いましょう。凡人を詩人に変えるのが、推しである、と。
その上で、推しの芝居にふれて自分の状態がどうなったのか言及してみる。このとき、なるべく「好き」とか「うまい」というざっくりした単語は一旦禁止にしておくのがポイント。頬が熱くなったのかもしれないし、心臓がぎゅっと締めつけられて息ができなくなったのかもしれないし、全身から力が抜けて立ち上がることもできなくなったのかもしれないし、体の内側で無数の小さな爆発が起きて居ても立ってもいられなくなったのかもしれない。心の中に起きた現象を、支離滅裂だって構わない、何か言葉にすることができたなら、今までよりももっと彩り豊かに推しについて語ることができる。
自分自身に置き換えるとわかりますが、自分がいちばん頑張っていることを褒められてうれしくない人はいないと思います。推しもまた人間。特に芸能界なんて競争社会で生きていたら、自分の価値についてあれこれ悩んで方向性や居場所を見失ってしまうときもあるかもしれません。
こちとら何の役にも立てないただのしがないオタクですが、だからこそあなたのお芝居に救われた人はここにいますと、それぐらいのことはせめて全力で伝えたい。推すとはつまりどんなときも相手の背中を押し続けること。そのために今日も粛々と語彙力を磨き続けるのです。
とはいえ、推しの顔の良さに問答無用で往復ビンタされることもしばしばあるのがオタクの現実。いくら語彙力で武装したところで追いつかないこともままあります。そんなときは無駄な抵抗はやめて声を大にして叫びましょう。「推しの顔が好き」と!!
前回記事「こじらせてると解ってる、でも言いたい「推しに認知されたくないオタク」の本音」はこちら>>
「推しが好きだと叫びたい」連載一覧
第1回:あの日“推し”に出逢って、僕の人生は変わった
第2回:荒みがちな心を癒すのは“推しのいる生活”
第3回:ドラマ『恋つづ』から考える、推しのラブシーン問題
第4回:自粛生活では新たな推し=生きる燃料。朝ドラ俳優・窪田正孝の底知れぬ魅力
第5回:こじらせてると解ってる、でも言いたい「推しに認知されたくないオタク」の本音
第6回:「推しの顔が好きすぎて語彙力死ぬ」問題をライターの僕が本気で考えてみた【ライター横川良明】
第7回:やっぱり顔が好き!顔から推しに堕ちたオタクを待つさらなる落とし穴【ライター横川良明】
第8回:SNSで話題の史上最強沼・タイBLドラマ『2gether』の素晴らしさを語らせてくれ
第9回:ナイナイ岡村の炎上騒動から考える「長く愛される推し」に必要なモノ2つ
第10回:転機は高橋一生だった。推しの肌色面積問題、着てる方が好きなオタクの意見
第11回:オタクの心の浄化槽。男子の“わちゃわちゃ”が今の時代に求められる理由
第12回:推しが好きだと叫んだら、生きるのがラクになった僕の話
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