誰かと会って話をする時、目的がはっきりしていれば、間に何かを挟む必要はありません。会議室などを確保して、必要な議題について話し会えばよいことです。情報交換でも同じで、情報交換という目的がはっきりしていれば、食事など必要ないでしょう。

しかし、人に会いたいという理由がこうした正当なものではなく、こっそりと内緒でお願いしたいことがあるという場合はどうでしょうか。お互いに食事をしながら、タイミングを見計らって話を切り出すことが多いのではないかと思います。

今すぐ、議論するテーマはないものの、相手の様子を少し探っておきたいという場合も同じです。会社でもそうだと思いますが、上司が部下の様子を探るために食事へ誘い出すケースは少なくありません。

「会食ルール化」も結局見送り。日本の政治家が食事なしで会合できない理由_img0
2020年12月上旬の東京・新橋。相次ぐ企業の“忘年会中止”を受けて、本来なら一年で最も賑わうはずの時期にも空いている店が目立った。緊急事態宣言に合わせた時短要請により、飲食店は更なる苦境に立たされている。写真:西村尚己/アフロ

つまり、彼等が言うところの会食というのは、表立ってはできない話をしたり、相手の様子を探る目的で行われるものであり、会議室を借りて正々堂々と議論するような類いの話ではないのです。政治利権に絡むお金の話や、多数派工作などの話題について、食事をしながら世間話と絡める形で、それとなく意思を相手に伝えたり、表情などから相手の動向を読み取っていると思われます。

 

日本で立案される政策というのは、実は、ほとんどがこうした裏ルートで成立しており、国民の目には触れにくい構造になっています。つまり、国会議員の会食がなくならないのは、政治プロセスが不透明だからであり、これは日本社会における構造的な問題といってよいものです。

こうしたインフォーマルな会合というのは、諸外国の政界にも存在しますが、日本は特にその傾向が強く、多くの事柄が非公式の場で決定されます。筆者はこうした透明性の低いプロセスは解消していくべきだと思いますが、この問題は、国会議員だけで解決できるものではありません。

国会議員がこうした会合をたくさん実施しているということは、非公式のルートを使って議員に働きかけ、自身の利益にしようという人物や会社がたくさん存在していることの裏返しでもあります。自分は関係ないと思っていても、読者の皆さんが会社から受け取っている給料の一部は、実はこうした非公式な活動によって得られたものかもしれません(日本には政府の見えない保護によって成り立っている業種がたくさんあります)。不透明な慣習を一掃する場合、私たちの給料も減ってしまう可能性について覚悟しておく必要があるのです。

政治家というのは、良くも悪くも国民を映す鏡ですから、私たち自身が非公式に物事を決めるという前近代的慣習から脱却できない限り、結局は政治家も同じ行動を繰り返します。今回の一件は、日本の社会慣習について問い直す、ひとつのきっかけにすべきであると筆者は考えます。


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