「あ、来た来た。早希!」
自分を呼ぶ女の声に、早希は思わず凍りついた。
――なんで美穂がここに!?
狼狽を隠せず、早希は隼人と美穂の顔を行ったり来たり何度も見やる。疑うつもりはないが、嫌な予感に胸がざわついた。
「あ、せっかくなので美穂さんにも声かけたんです。これから一緒に『グレディ』を盛り上げていくメンバーだしと思って」
しかしこちらの内心など知る由もなく、隼人はまったく悪びれない笑顔を向けてくる。早希としても愛想笑いを返すほかなかった。
予想外の事態ではあったものの、3人で過ごす時間は楽しかった。
皆で『グレディ』の未来を語っていると話題は尽きず、あっという間に時が過ぎていく。
「北山さんはどうして早希に声をかけたんですか?」
会話が途切れたタイミングで、ふと美穂が思い出したように尋ねた。
「初めて撮影で会った時に一目惚れしたんですよ」
迷いなくさらりと答える隼人に、早希は思わず赤面してしまう。
「ちょっと。年上をからかわないで」
動揺を必死に隠し小さく睨む。しかし隼人はまるで意に介さず笑っている。
「からかってない、本当です。仕事ができるからと言うのはもちろんだけど、一番の理由は美人だからですよ」
「もう、いい加減にして……」
困り果てた早希は視線を泳がせ赤ワインを口に運ぶ。するとその一部始終を見ていた美穂が、クスクスと笑いながらさらに突拍子もない言葉を口走った。
「なんか二人、いい雰囲気じゃない?」
「ちょっと!何言い出すの、北山くんが困るわ」
早希は慌てて美穂を嗜める。しかし隼人が今度は真顔で、そんな早希にかぶせるように言った。
「僕は別に困らないですけど」
――!?
一体、どう受け取ればいいのか。思わせぶりだが決して核心を突かない、掴みどころのない発言。これがいわゆる草食男子というやつなのだろうか。それともやはり、ただからかわれているだけか。
混乱する早希は何の言葉も返せずに俯いた。とかくこういう場面に慣れていないためうまくかわすということができないのだ。
ところが下を向いていても、こちらを見つめる隼人の視線を感じる。この状況をどう収集すればいいものか……思案していると、再び隼人が口を開いた。
「進藤さんが困りますか?僕が付き合って欲しいって言ったら」
――え……!?
隣の席で美穂が息を飲むのがわかった。たまらず顔をあげる。隼人は笑っていなかった。冗談を言われたわけではなさそうだ。
「……困らない。私も北山くんに一目惚れしてたから」
頭で考えるよりも先に唇が動いた。
隼人の本音はよくわからない。それでも、流されてみてもいい。そんな風に思える自分がいて、口に出した言葉に後悔もなかった。
隼人は驚いた様子で目を見開き、そして次の瞬間、甘く優しい笑みを浮かべた。最初に早希を魅了したのと同じ、韓国俳優のチョン・ヘインそっくりの笑顔だ。
「やった。じゃあ、今夜が交際初日ってことで」
……まったく、ムードも何もない。無邪気にハイタッチを求めてくるアラサー男子の軽いノリには戸惑いを隠せない。
――大丈夫。後悔はしないわ。
しかし隼人と掌を重ねながら、早希は己を鼓舞するように呟いた。
きっと、正しい選択なんてこの世にはないのだ。自分で選んだ道に責任を持ち、覚悟を決めて正解にしていくだけ。
今、この瞬間、隼人の手を握った自分を絶対に後悔しない。
早希はもう一度繰り返し、たったいま彼氏になった若い男をまっすぐに見た。刹那、甘く痺れるような感情が広がっていく。
鼓動が高鳴る。このときめきは、間違いなく恋だ。
ずっと欲しがっていたのに、自信がなくて、自ら否定し続けて、唯一手を伸ばせずにきたもの。
「早希、良かったね……!」
頬を紅潮させて抱きついてきた美穂に、早希はゆっくりと頷いた。
NEXT:3月7日更新
別居中の夫と面会交流、調停離婚、そして新しい恋。美穂は人生にどう決着をつけるのか?
Comment