この春に立ち上げられた、女性アスリートの生理問題を考える『1252プロジェクト』。
その一環としてスタートしたYouTube番組『TALK UP!1252』は、プロジェクトの発起人である元競泳日本代表の伊藤華英さんをホストに、毎回さまざまなゲストとスポーツ界の現状や課題について語り合います。

今回は、元バレーボール日本代表としてアテネオリンピックにも出場された大山加奈さんがゲスト。
現役時代から引退後までの様々なご苦労を振り返りながら、団体競技の中で痛みやつらさを表現することの難しさや、思春期の身体の不調が未来におよぼす影響などについてお話ししてくれました。

 


レギュラーの座は譲れない!
だから弱音は吐けなかった


伊藤さん(以下、敬称略):今日は、団体競技における生理問題を中心にお話をお伺いしたいと思います。大山さんは、現役時代に何か困っていたことはありましたか?

大山さん(以下、敬称略):私の場合は、幸い生理に関しては、周期も正しく生理痛もほぼなくて、特に悩まされることはありませんでした。
ただ、子どもの頃からずっと腰の怪我に苦しめられていて。本当は痛いししんどかったけど、チームの中では誰にも言えませんでした。

 

伊藤:アスリートの世界で、痛みやつらさを口に出すことは難しいですね。腰はどのような症状だったんですか?

大山:脊柱管狭窄(せきちゅうかんちゅうさく)症といって、本来は高齢の方に見られる症状を20歳の頃から発症していました。
もともと小学生の頃から腰痛がひどく、だましだましやってきたのですが、アテネオリンピックに出た20歳くらいから歩けなくなるほど悪化してしまいました。

でも、その間、痛みについてチームメイトに明かしたことはありません。弱音を吐いたら甘えと思われそうでしたし、監督に知られたら、きっとメンバー選考に影響が出てしまう。
バレーボールは、代表合宿に20〜30人が集められ、最終的には12人に絞られます。チームメイトは、仲間でありライバル。
監督に「コイツならやれる!」と思ってもらう必要があるので、「痛い」「つらい」と弱音を吐く自分は見せられないのです。

写真:アフロ

伊藤:「痛い」と言うことが、「弱い」とみなされてしまうんですね。

大山:アテネオリンピックが終わり、腰のためには手術すべきでしたが、手術をすると選手生命を絶たれる可能性もあると言われて、長期療養しリハビリする方法を選びました。
でも、常に復帰に向けた焦りがあり、少し改善されるとすぐに復帰してまた壊す、ということの繰り返し。
結局、北京オリンピックの年には手術を避けられなくなり、病床からオリンピックを鑑賞するという非常に悔しい結果となってしまいました。

伊藤:手術後は無事に復帰できたんですか?

大山:一度は、痛みがなくなったんです。
そこで「ようやく新しい人生が始まる!」と気分が高揚したのも束の間、再度痛くなってしまって……。
ガクッときて心の不調に陥ってしまい、そのまま引退会見もせずフェードアウトするように引退することに。26歳になったばかりの頃でした。

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怪我との戦いでもあった大山さんの現役時代
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1 写真:アフロスポーツ
2-3 写真:アフロ
4 写真:築田純/アフロスポーツ