やはり脳出血! 朦朧としながら、いろいろな検査を受けまくる
 

救急車で運ばれた先は、都内にある医大附属病院。いわゆる急性期病院とされている総合病院で、救急隊員たちが搬送先を決める際に、「脳なら、あそこがいい」と口々に言っていた病院でした。

急性期とは、病気や怪我になってからの期間をさし、14日間以内が目安とされています。急性期病院は、急性期および救急の患者を受け入れる体制を整えている病院のこと。ちょうどデルタ株が猛威を奮っていた時期だったので、救急救命室に入る入口で私を乗せたベッドは一旦停止し、鼻から何かを入れられて、新型コロナウイルスの抗体検査を受けました。「コロナで大変なのに、運ばれてきちゃって申し訳ないなあ」と思ったものです。

 

救急救命室に運ばれた私は、服はもちろん時計やアクセサリーをすべて外され、病院着に着替えさせてもらいました(私は終始寝たままで、されるがまま)。日曜日だというのに、たくさんの医療従事者の方々が忙しそうに立ち働いています。

「おそらく脳に出血があるから、これからいろんな検査をしますよ」と先生。私はぼうっとはしていたけれど、意識はずっとあって、緊急治療室の機器や備品を眺めては「あれは何に使うんだろう?」などと考えていました。

疲れを感じていたものの、「脳卒中で意識をなくし、気づいたら手術が終わっていた」などと聞いたことがあったため、意識をなくすのが怖かったのです。そこで「ちょっと疲れちゃったんですが、目をつぶっても大丈夫でしょうか?」と聞いたところ、「大丈夫ですよ」と先生が半分笑いながらお墨付きをくれたのでした。

その後は寝たり起きたりしながら、CTスキャンやMRI、採血と、いろいろな検査を受けました。ベッドに寝そべったまま、病院内のいろんな天井を眺めつつ移送を繰り返したのちに、「やっぱり、出血があったので、集中治療室に移ります」と先生。

 

病室に移動している最中に、夫が駆け寄ってきました。そういえば学校に呼ばれた後、一緒に救急車で病院まで乗ってきたんだっけ。

「連絡しなきゃいけないのは、誰と誰や!?」と言われて、ハッとしました。明日から動き始めるラーメン本にタレントの連載、もうすぐ校了の映画関連のリーフレット……。「らーめん、えむさん。それと……」などと一生懸命伝えます。
「じゃあ、そろそろ」と看護師さんに言われて、私を乗せたベッドが動き出そうとしていました。私は動くほうの左手で夫の腕に触れて、「子どもたちを、よろしくね」と言葉を絞り出しました。「おう、大丈夫。ゆっくり治しや」と言う夫の姿が、ドラマのように遠ざかっていきます。

集中治療室に移された私は、まずは自分の状況を確認。血圧を下げると説明された点滴と栄養剤の点滴、血圧などを測る機械、尿管などたくさんの管につながれているのが見えました。

子どもたち、放り出してきた仕事。私はこのままどうなっちゃうんだろう。脳出血って、後遺症が残るんだよねえ。とりあえず、右手と右脚は動かない。でも、このままではないはず!

先生によると、高血圧が原因で脳の血管が破れたらしい。確かに私は40代に突入して上が140台、下が100台で「血圧コントロールが必要」と診断されていました。けれども、そのくらいの血圧で、しかも、40代で脳卒中になっちゃうもの!?

朦朧としつつも釈然としないまま、その日はそのまま意識が遠のき、深い眠りに落ちてしまったのでした。


突如はじまった、萩原さんの先の見えない入院生活。
次回は、「仕事と家族を置いての入院生活。ひとりきりの病室で、決めた覚悟」をお届けします。
 

文/萩原はるな
写真/萩原はるな、Shutterstock
構成/宮島麻衣
 
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