社会にあふれる、理解できない文化を「馬鹿にするしぐさ」


そしてもう一つ印象的だったのは、作家の平野啓一郎さんとの対談の、「若者文化とおっさん」という部分です。ここで平野さんは、自分が理解できない若者文化に対して、「そんなん、どこがええの?」という態度をとるのはよくないという主旨の話をされています。

現在20代であり、若者真っ只中である私は、この部分にとても反応してしまいました。理解できない文化を馬鹿にするしぐさって、対象はどんなものであれ、この社会のそこかしこにあると思うのです。

その中でも、とりわけ「若者」という属性だけで“なんかようわからんけどけしからん”みたいなことを言われることが多く、非常にもやもやしていました。中年以上の人がやたら若者を馬鹿にするのって、「今どきの若いもんは症候群」ですよね。今の中高年だって若い頃はさらに上の世代から同じことを言われていたはずなのに、自分が年を取ると同じ態度を取ってしまう。これこそまさに「おっさん性」ではないでしょうか。

メディアもよく「若者の〇〇離れ」なんて言いますが、大抵の事象はお金がないがゆえのことです(例えば、結婚離れや車離れなど)。また、最近気になるのは「子どもや若者の国語力の低下」と言いたがる中高年の存在です。データという明確なエビデンスよりも、極端な例を持ち出して感情的かつ主観的に一般化し、自分が思う“そうであってほしい”若者像を作り上げているように見えます。

 


私にもきっと、おっさん性の「芽」はある


今の中高年層にも国語力が低い人たちは一定数いますし、教育も変化しているため、客観的に違いを測ろうとするのもナンセンスでしょう。逆に今の若者が求められる、身に着けている力は、中高年層とは違うものだったりするのです。

「今どきの若いもんは症候群」には無自覚の、「若者は思慮が浅く、軽薄で、インスタントなコミュニケーションを好むのだ」という先入観、思い込みがあるように思います。人間は「わからない」存在に対して、主語をバカでかく括って、そういうものだと決めつけ、安心したい生き物なのかもしれません。これも人間の“性”なのでしょう。

メディアは世代という箱に押し込み、ラベリングして、世代間の分断を煽るのが大好きです。でも、そうすることで個体差は見えづらくなり、決めつけが先行していくように思います。若者である私たちも同様に、「中高年ってこうだよね」と安易に言わないよう、気をつけねばと思います。

改めてになりますが、おっさん性とは誰の中にもその芽があって、環境によってはその芽は大きく成長する可能性があります。今は駆け出しで若者である私ですが、年を取り、仕事での立場も上になれば、いつ「おっさん性」が発動するかわからないのです。


文/ヒオカ
構成/金澤英恵

 

前回記事「「市場価値ゼロです」門前払いのエージェント、未経験歓迎はウソばかり…20代が直面した転職活動の憂鬱」>>