仮に自分が彼女の立場として、隣にいる人がいきなりハサミで銀テを真っ二つに切って、半分どうぞって言われてもうれしいか? これが『となりのトトロ』のカンタなら、土砂降りの雨の中、「んっ!」と傘を差し出してくれるのも可愛かろうという話です。

ですが、わかっているけど、僕はカンタではない。中年の男性です。そして、これは自虐でもなんでもなく、男性はある程度の年齢になると自分の意図とはまったく別のところで一定の圧迫感や恐怖心を人に与える存在であることを自覚しておかなければいけない生き物なのだ。


少なくとも隣にいる女性は僕より若い。1人で参戦したライブ会場で見知らぬ男性に声をかけられる抵抗感は想像に難くない。しかも、半分に切って渡そうとしているその銀テはさっきまで僕が腕に巻きつけていたものである。初夏のライブだ。うっすらと肌も汗ばんでいる。普通にいらないだろ。

 

でも、ここで僕が声をかけなければ、彼女は手ぶらのまま帰ることになる。後でライブの感想を振り返ろうとSNSを覗いたら、運良く銀テをゲットした人たちがうれしそうに写真をアップしているかもしれない。それを見て、楽しかったライブの思い出に白シャツについたカレーの染みのような無念が残るくらいなら、ここで僕から切り出すのが人情というものではなかろうか。

 

頭の中で、銀テをあげるかあげないかのラリーが世界卓球の決勝戦くらいのスピードで続く。

僕がラブストーリーの相手役になるような男子なら、サッとハサミで切って、銀テを渡すと思うのよ。なんならその瞬間、『Love so sweet』とか流れ出したりしちゃうと思うんですよ。しかし、僕は『マーガレット』に載るような人間ではないのです。どっちかと言うと『稲中』あたりの方がしっくり来る。

それこそ、ラブストーリーでよくある、寝ている女の子に自分の上着をかけてあげるやつとか絶対できない。自分の体臭がついた上着とか嫌がらせでしかないと思っちゃう。ああいうモテ仕草みたいなのは、結局、自己肯定感が高いからこそできる芸当だと思う。

モテに限らずとも、たとえば食事に行ったとき、5分くらい到着が遅れる上司のために、先回りしてビールを頼んでおくとか。SNSで愚痴を吐いている知人に、そっとLINEで「話聞くよ」とメッセージを送ってみるとか。そういう気が利くとか優しいとか言われる振る舞いって、ある程度の自己肯定感があるからできること。

こちとらそうした方がいいのかなと頭にはよぎるけど、もしかしたら今日は1杯目はビールの気分じゃないかもとか考えちゃうし、この関係性でLINEを送っても迷惑がられるだけじゃないかと腰が引ける(そして、大抵の場合は1杯目にビールで間違いないし、愚痴ツイートをしている人は誰でもいいから誰かに話を聞いてもらいたいのだ)。

優しさとは強さだと誰かが言っていた。強くなければ優しくなどできない。優しい人になりたいと思いながらまったく優しくなれない僕は、まずブレない強さを持つことから始めてみるべきなのかもしれない。
 

追伸、銀テは結局渡しませんでした。
 

イラスト/millitsuka
構成/山崎 恵
 

 

 

前回記事「幼い頃いじられキャラだった僕が「もう集団と関わらない」と決めた日の話」はこちら>>