問題は、残りの3週間、どうすり減った自尊心に点滴を打ちながら、騙し騙しやっていくか。僕たちの暮らしに必要なのは、日常における軽めの内服薬だ。

 


僕の場合、おおむねそれはエンタメにあたる。特にドラマがいい。小説や映画では少し重すぎるし、新作も疲れてしまう。何度も観たドラマをソファの上で寝転がりながら、ダラダラ観るのがちょうどいい。

早速、なんとか原稿を書き上げたその夜、サブスクを立ち上げてラインナップをチェックする。今はせつないラブストーリーの気分じゃない。かと言って、中身の薄いコメディもちょっと違う。ジメジメしすぎず、さりげなく前向きで、でも肩肘張らない、等身大のドラマ……。脳内会議の末、選ばれたのは、『恋ノチカラ』だった。

恋も人生もすっかりあきらめていた30歳の独身OL・本宮籐子(深津絵里)が、ちょっとした人違いで売れっ子広告クリエイター・貫井功太郎(堤真一)に引き抜かれたことから始まる、恋と仕事の物語。何度も観て、そのたびに元気をもらってきた名作だ。

ダルダルのスウェットに着替えて、再生ボタンを押す。流れてくるのは、小田和正の『キラキラ』。何年経っても変わらない軽やかな高揚感に、胸の中が新鮮な風で満ちてくるのを感じる。

けれど、そんな何度も見慣れた『恋ノチカラ』でその日僕は大泣きしてしまった。今まで特に引っかかったようなことのないシーンで、涙腺が壊れてしまったのだ。

それが、長年勤めていた大手広告代理店を貫井さんが辞めるシーン。荷物を車につめた貫井さんは、沿道で自身がデザインを手がけたラッピングカーが走っているのを見つけ、子どもみたいにはしゃいで拳をあげる。その姿に、なんだか涙が止まらなくなったのだ。

たぶん理由は、貫井さんのガッツポーズに誇りを感じたからだと思う。自分のやってきた仕事に対する、迷いのない誇り。それは、勝手に原稿を書き換えられたのに、結局大人しく引き下がった自分にはないもので、なんだか自分が情けなくなった。そして、このドラマを初めて観た子どもの頃の気持ちを思い出して、胸が苦しくなった。

そうだ。僕は、自分の仕事にガッツポーズができる大人になりたかったのだ。

きっと貫井さんだったら、あのとき編集者とも戦ったはずだ。でも、僕はそうしなかった。

それには、何を言ってももうわかり合えないという徒労感もあった。これ以上、この人と話していると頭がおかしくなりそうだという怒りもあった。でも、いちばん根っこにあったのは、自分の原稿なんてその程度の価値しかないんだという、自分自身へのあきらめだった。

自分なんてとか。どうせ自分はとか。自己肯定感の低い僕は、ついそういう言葉が口癖みたいに出てしまう。過剰に自分に自信を持てないことは、謙虚さを失わないという意味ではいい面もある。でも実際のところ、それはただのこれ以上自分を傷つけないための予防線でもあったりする。そうやって自己卑下というシェルターに引きこもることは楽だし癖にもなる。だけど、事態は何も解決しないのだ。