事件の予兆を見た人々
「へ? サイン? 有名人のサインてこと?」
由美子さんはお茶を飲みながら茶色がかった目をぱちくりさせる。どうみても28歳の私と同い年くらいに見えるけれど、実は35歳。「色が白いは七難隠すとおばあちゃんが言ってた!」と常々言いながらつやつやの美肌を保っている。
「いや、じつはこのまえ整備さんとお食事会したときに『大きいトラブルや事故の前にはサインがある』っていう話をきいて。予兆みたいな。ほんとにそんなことあるのかなあって、長く勤めてるお2人にきいてみたかったんです」
「千波ちゃん、長く勤めてる、は余計だけど!? まあね、そういうサインなら、あるわね」
明美先輩がこともなげに頷く。お休みの日は実家の湘南に戻ってサーフィン三昧という彼女は、いつも健康的に日焼けしていてかっこいい。そしてその答えに私は食いつく。
「え!? どんなサインが?」
「そうねえ、例えば……これは私も山崎先輩に聞いた話だけど。20年前にCAさんたちが乱気流で怪我をした事故の当日、その便に乗務する予定だった人が、ブリーフィングルームに入った瞬間、チーム全員の顔から上が見えない! って絶叫して医務室送りになり、乗務から外されたとか……」
「ギャー!」
私は思わず叫びながら耳をふさぐ。のっけから恐ろしすぎる。
「ちょっと、ききたいっていったのは千波ちゃんでしょうが。私がこの前合コンした貨物のひとからきいた話だけど。機内準備が整うまでの間、飛行機のボーディングブリッジの下で待機してたんだって。
CAが機内に入っていったら、準備を再開しようと地面をみていたらしいの。ブリッジにはガラス窓があって、機内に入る人のシルエットが地面に映るからね。ずっと見上げてると首が疲れちゃうから影を見てたわけよ。それで、おかしいな、誰も乗らないなあと思ってたら『CA機内準備完了』って無線が入ったって。……全員、影が映らなかったらしいのよ」
「ひいいいっ」
私はムンクの叫びみたいになってのけぞる。怖い。ダメだ、航空怪談を舐めてました……。
「あの、すみません、予想斜め上に恐ろしかったのでもういいです……。でも、やっぱりそういう話、各現場に伝わってるんですね!? 『サイン』はあるのか!」
「ま、多分ね、予兆みたいなものをキャッチする人がいるのかもね。飛行機って関係者多いからさ、危険を察知する人がなかにはいるのよ、きっと。でもそういう話をもとに事前に事故が回避できた、っていうのは聞かないからね……本当でも嘘でも、後からじゃ意味がないのよ、残念ながら。サインをもとに、ことが起こる前に誰かの行動を変えるって簡単なことじゃない」
明美さんと由美子さんは、ちょっと寂しそうに笑った。
「私の姉は看護師で、大学病院のバリバリのオペナース(手術に入る看護師)なの。姉が言ってたな。『子どもはまだ生よりも死に近しいから、第六感が働く。なかには自分の手術がうまくいかないってわかっている子がいる。手術台に乗ると、ご両親に感謝の言葉を伝えたりするのよ。もうたまらない。それを見ると、医療従事者として無力感でいっぱいになる』って。
サインなんて、気が付かないほうが幸せなのかもね」
春の宵、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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