特別な力はいらない


私はもう一度男性に深く頭を下げ、それから発券端末のところに行って、手続きをした。

「お客様、大変お待たせいたしました。こちらが払い戻させていただいた現金、こちらがタクシー清算のご案内です。到着口を出ていただきましたら、タクシー乗り場がございます。

……ただ、あの、お客様。誠に差し出がましいようですが……もしも明日の朝のお帰りでもよろしければ、今夜はホテルでお疲れを取っていただくのもよろしいかと」

「え? フライトをキャンセルするのに、そんなこと言っていいんですか? 払い戻しの乗客にいちいちホテルを用意するのも大変でしょう」

お客様は少し驚いた表情でこちらを見た。おっしゃる通りだ。じつはホテル代を出すのは一番お金がかかるので、航空券の払い戻しをした方にホテル代というのは避けたいのが会社の本音。

でも私は、お客様にこんなに白い、疲れた顔色のまま、タクシーで移動していただくのが申し訳ない気持ちだった。

深夜に。たったひとりで、なにか事情を抱えて、彼はどこに行こうとしているのだろう?

それは私なりに、受け取った『サイン』だった。

この人はなにか抜き差しならない事情を抱え、ひとり静かに戦っている。その前に少しだけ、立ち止まって欲しいと思った。彼を今夜、ひとりで『もといたところ』に戻してしまうのはよくない。そんな気がした。

「近隣ホテルにはビジネスホテルですけれど温泉があるところもあるんです。そこで少しでもお疲れを癒していただけたら、今夜ご迷惑をかけた航空会社の社員としてとても嬉しく思います」

「……ありがとう。そんな優しい言葉をきいたのは久しぶりです」

男性は、今日初めてほんの少しだけほほ笑んだ。

 

「今夜、終わらせようと思ったけど。……あなたの言う通り、とりあえず、そこに行こうかな」

「そうですよ、ぜひ。ぜひそうなさってください」

 

私は嬉しくなって、急いでホテルを検索する。彼の「目的」が何だったのかはわからない。でも、それは今夜、そんなに悲しい様子で急ぐことはない。彼が予定を変更して、少し明るい顔になってくれたことがとても嬉しかった。

サインを受け取るのに、必要な力はなんだろう? それはある種のアンテナなのかもしれない。特殊な力? 霊感? ……きっともっとありふれていて、ささやかなもの。

目の前の人に元気でいてほしい。そしてこの先にいいことがありますように、というシンプルな想い。

私は目の前のお客様のために、私が好きな温泉がある居心地のいいホテルを予約した。

【第22話予告】
すっかり記憶がなくなってしまった入院中の祖母。不思議な伝言があり……?

春の宵、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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イラスト/Semo
構成/山本理沙

 

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