「甘やかさずに叱るべきだ」という社会的圧力

 

冒頭で、「最近の若者は叱られ慣れていない」という言説には、「人は叱られてこそ成長する」という前提があるのでは、という話をしました。昨今、指導であれ教育であれ、あまりに「強い口調で物をいう」ことはパワハラにあたる、と指摘されるようになりましたし、一昔前にはあたりまえだった「怒鳴ること」も「よくないこと」という共通認識が広がってきていると思います。

その一方で、村中さんは今もなお「『甘やかさずに叱るべきだ』という社会的圧力」が存在すると指摘します。さらに、「叱るのはよくない、でも必要なこと」という、一見すると矛盾するような認識があるというのです。こうした、社会に根強く残る考えに対して村中さんは、


「叱る」をできるだけ避けたほうがいい第一の理由は、倫理的、道徳的なものではなく、単純に効果がないからです。そして、効果がないわりに、副作用としての弊害は大きいのです。
――『〈叱る依存〉がとまらない』(P28)より

とバッサリ。「叱るのはよくない」どころか、「叱ることに効果はないし、むしろ弊害がある」と断言しています。

 

「叱る」行為は強い充足感をもたらし、依存を生む


『〈叱る依存〉がとまらない』というタイトルのごとく、叱るという行為には、「依存性がある」と村中さんは指摘します。叱る人は、相手のためを思って叱っていると言うのでしょうが、実際は「叱る行為」によって「叱る側のニーズ」が満たされるというのです。


叱る人から見ると、自分の行動が、相手の望ましい行動を生み出していると感じる体験です。そのため、この状況は叱る側に強い充足感を与えます。
――『〈叱る依存〉がとまらない』(P64)より

叱ることで、相手をコントロールできるように思えることが、自己効力感(目標を達成するための能力を自らが持っていると認識すること)に繋がるというのは、重要な指摘だと感じます。

正直、筆者も「叱る人」を目の前にしながら、「ただ叱りたいだけじゃん」と感じていたことが何度かあります。叱る人を、「怒っているわけではない」「感情をコントロールしている」「自己を抑制して相手のためにやっている」と庇いたくなる人もいるかもしれませんが、それでも相手に相当なストレスを与えることに変わりはなく、極めて独善的な行為だと感じるのです。実際、叱ることには、叱る側が「気持ちよくなってしまう」という側面があるのです。