「胸」の言葉は、うわべで説明的でウソっぽい

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次に3つのうちの真ん中の「胸」の部分です。

 

たとえば、あなたがこれから1000人の観衆の前でスピーチをするとします。ドキドキと緊張して、そわそわ落ち着きません。そんなとき、どこに手を当てますか?

胸に手を当てるのではないでしょうか。胸に手を当てたくなるときの意識のことを、私はそのまま「胸の意識」と呼んでいます。

 

「胸」に意識が向いて話しているときはこのような状態です。

・過度に緊張して落ち着かない気持ちで舞い上がっている
・伝えなければ、結果を出さなければと焦って心がうわずっている
・感情やテンションを高ぶらせてがんばって必死に伝えようとしている

この「胸」の意識から生み出される言葉を「胸のポジションの言葉」と呼んでいます。

「胸のポジションの言葉」を、劇団四季では「うわべ言葉」もしくは「説明的言葉」といいます。

実は、世の中の多くの人は、何かを伝えるとき、ついついこの「胸のポジションの言葉」でアプローチしています。これが最大の落とし穴です。

いざ人を目の前にして本番になると、つい「上手くやらなければ」という気持ちが生まれてしまいがちです。すると、決まってテンションを上げて、感情たっぷりに伝えようとします。声を高ぶらせてプレゼンが終わったときには、なんとなく、自分も精いっぱい上手くやったような気になっています。本当にありがちです。

しかしこれは大きなリスクをはらんでいます。それは、聞き手とのギャップです。

テンションや感情を使って情動的に話すことに気がいってしまうと、自分の中で〝しっかりと伝えた〞、〝相手に伝わった〞という自己認識が生まれます。しかしこのとき、聞き手は、まったく違う感想を持っています。

それは、「うわべで説明的でウソっぽいな⋯⋯」です。

なぜか。

「胸のポジションの言葉」を発している理由はいったいなんでしょうか?それは「なんとかしてわかってもらいたい」「失敗したくない」「ちょっと、かっこつけたい」といった自分本位の考えです。

胸のポジションの言葉も、実は、発声と発想は一致していません。なぜなら「発声」するときの「発想」が自分本位(エゴ)になっているからです。気持ちをたっぷり込めたつもりでも、実際には、〝自分は伝わったと思うが相手はそう感じない〞という主観と客観の大きな乖離を生み出しています。その結果、うわべで説明的でどこかウソっぽい自己満足の表現になってしまいます。

 

感情を込めてしまうと、どうしても「胸」の意識になりがちです。エゴに近いこの「胸」の意識から生み出されるのは、自己満足の表現。聞いている観客は無意識のうちに冷めてしまいます。

劇団四季の厳しい「稽古」の世界を知っている私は、研修でビジネスパーソンのロールプレイング大会を見ていると、非常に多くの方が「胸のポジションの言葉」でやっているのを目の当たりにします。ロープレで「気持ちが込もっている」と褒められても、現場に行くと空振りした経験はありませんか? 仲間内で慣れてしまうと、主観と客観の乖離が生まれ、初対面の相手に共感してもらえなくなってしまいます。

まとめると、自分は「伝わっている」と思ったのに対し「相手はそう感じていない」というギャップを生み出す可能性が高いのが、「胸のポジションの言葉」なのです。これでは、人を惹きつけることはできません。