中高年は、男女が「女らしさ」「男らしさ」のこだわりから抜けるチャンスでもある


アツミ:私なんかは「女のくせに」「女なんだから」とか言われることをずーっと忌々しく思いながら生きてきたほうですが、変な話、男性だって嫌なんじゃないかなあと思うんですよ。「男を見せろ!」とか「男のくせに泣くな!」とか言われるの。

村瀬:そんな風に「”男らしくない”と言われること」に対して、男性の中で「それは抑圧である」という理解が広まっていけばいいと思います。

アツミ:男らしくなくたっていいじゃん、って事ですね。

村瀬:私は性について言えば、中高年で「勃起がうまくいかなくなる」というタイミングが、「男らしさ」のこだわりから抜けるチャンスだと思うんです。

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アツミ:なるほど。男性にはペニス信仰がありますもんね。

 

村瀬:『おうち性教育はじめます』とは別の著書(『50歳からの性教育』河出書房新社)を読んだ方から、長いお手紙をいただいたんです。ずっと性教育をやってきた男性教師の方で、私の講演会にも熱心に来てくださっている人なんですが、彼が「今度の本で1番感動したのは、村瀬先生が50代、60代での性欲の減退をめぐり、妻と話をしたというところ」だと。

アツミ:新婚時代の「生理」に続き、そのタイミングでも夫婦で話し合われたんですね。

村瀬:はい。私も色々と煩悶して、妻に「ED治療薬を使おうか」と聞いたんです。それで「今日はセックスをする」という合意のもとで何回か飲んでみたんですが、薬が効いてくるまでの時間にお互いに気が変わってしまったりすることもあって。実際の生活の中ではなかなかなじみにくい薬なんですよね。

坂口:なるほどねえ。

村瀬:妻からも「もうそういうの、やめて」と言われ、じゃあ勃起に頼らない楽しみ方を考えようと。そんなこと本に書いたんです。お手紙をくださったその方は「そういう話は初めて聞いた」ということで感動していました。ED治療薬については「うまくいった」とかコマーシャルみたいな話しか聞こえてこないじゃないですか。もちろん薬が悪いということではありません。お互いの同意と了解があり、上手く使いこなせていれば大いに結構だと思います。

アツミ:つまりは、多くの人が挿入至上主義で「挿入なしならセックスじゃない」という考え方になっちゃってるってことでしょうか。

村瀬:圧倒的にそうなんです。

アツミ:ある意味では「性教育=セックスを教えること」という思いこみと似たような印象を受けます。つまり「性」はもっと幅広い様々なものを含んでいるのに、その一点だけが重要視され誇張されている、というような。

村瀬:だから勃起不全になった男性は、妻から誘われても「この年齢で、まだお前はセックスしたいのか」と妻をなじる。しかも、セックスで満たせない支配欲が無視や暴力につながったりもする。「挿入なしに楽しむのもセックスの在り方」という文化がないのは、AVで描かれるセックスが全て挿入で終わるものだから。男性だけでなく女性もそういうふうに思い込んでいて、勃起不全なだけなのに「うちの夫はもうできない」と言ったり。男性の価値観が女性にも刷り込まれて、内面化してしまっていたりするんです。

アツミ:「勃起しないと男じゃない」とか「夫にセックスしてもらえない妻は女じゃない」といった考え方は、ジェンダー的な生きづらさにもつながりますよね。

村瀬:まさにセックスにおけるジェンダー偏見だよね。でもそれが日本の性文化の圧倒的部分をしめているんです。「そうじゃない!」ということを広めていく、これは私の大きなテーマです。そのことについて「できない男が愚痴こぼしてんだろ」なんて言う男はいっぱいいますよ。だって夕刊紙を見ても、勃起薬とか精力剤とかの広告ばっかりでしょ。女性誌の「若返る」「痩せる」っていうのと同じ。

アツミ:ジェンダー的な生きづらさをあおるものだらけ……。そういうものばかり追い求めるのは不幸ですよね。

坂口:日本は今後もどんどん高齢化が進むわけですから、逆にその層が旧来の「女らしさ、男らしさ」から解放されれば、社会が変わる可能性もありそうですね。


因田:確かに。50代、60代でも仲よく幸せに暮らす夫婦が増えたら、パートナーとともに年を重ねる事に対する若い人たちの考え方も変わるんじゃないかと。

村瀬:男が変わらないと。まずは威張ることをやめる。「黙って俺の言うことを聞け!」というような「支配」をしない。「どう思ってるの?」って自分から聞く。多くの女性は、変わりたい、変えたいと思っているんだから。

アツミ:ここでも「リッスンこそ愛」ですね。!