約束の日に


「奥様……この度は、ご愁傷様でした。生前、先生には本当にお世話になり、お別れのご挨拶がしたいと、図々しくも訪問させていただきました」

先生のご自宅の縁側で、お茶を出してくださった先生の奥様に、深く、頭を下げた。

 

縁側から続いている日当たりのいい和室には、生徒たちが拵えたという献花台と記帳台の横に先生のダンディな笑顔弾ける遺影が飾られている。たくさんのお花が、先生の人気ぶりを表していた。

先生のご自宅は、実は私が住んでいるマンションから1駅。それなのにこの20年、挨拶のひとつもしなかったことが悔やまれる。

いつか本を出したら行こう、なんて勝手に思い定めて。大好きな先生に会えないまま、永遠のお別れになってしまった。

「まあまあ、あの人、きっとすごく喜んでいますよ。もう本当に、教師が天職みたいな人でしたから。60歳になったんだからそろそろ引退してゆっくりしたら、って言っていたんですけれど、まだまだ学校にいたいって聞かなくて。……忙しくするばっかりで、それがちょっと悔やまれます」

高校生の頃聞いた話によると、先生がお若い頃に一目惚れして、猛アタックしたという奥様は、本当に上品な素敵な方だった。優しそうな笑顔に、固くこわばった心が優しくゆるむ。

「先生、引退したら奥様とイギリス留学時代の想い出の場所……湖水地方だったかな? をドライブするって、20年前に言っていました。女子高生だった私たちは、なんだかカッコつけてるう、なんて言いながら、すっごく憧れました、先生と奥様みたいなご夫婦に」

「ええ! そうなの? それは残念……ちょっとあなた、ひどいわ、もったいつけてないで早く連れていってくれなくちゃ」

奥様は写真の松永先生に向かってちょっと手を振る。私たちは、そんな奥様のご様子のおかげで哀しいトーンにはならず、微笑みながらお茶をすすった。

先生は、お風呂に入り、紅茶を飲んだ後、さあベッドに入ろうというところでばったりと倒れ、数日後そのまま帰らぬ人になったそうだ。苦しんだ時間が短かったことが救いだけれど、奥様はきっとこんな風に穏やになるまでたくさん泣いたことだろう……。

私は先生の前にすすみ、お線香をあげると、バッグから本を取り出した。発売したばかりの、私の初めての単行本。

「あら? その本、うちにもあるの。駅前の本屋さんのカバーがかかっていてね、なぜかそれだけ書斎の机の上に置いてあって。一昨日お掃除のときに気がついて、本棚に並べたから……ああ、これね」

奥様が立ち上がると、1冊の本を取り出した。

まさに私の本。なんだかうれしくて恥ずかしくて、もぞもぞしてしまう。

「あ、あの、この本、出たばっかりの私の本なんです……って、あれ? でも、先生、いつ買ったんだろう……?」

次ページ▶︎ 時系列をたどってみると、不思議なことが……?

秋の夜長、怖いシーンを覗いてみましょう…。
▼右にスワイプしてください▼