自分に馴染みのない曲のコメント欄も案外悪くない。たとえば、ヒットチャートやカラオケランキングの上位を飾った昔のナンバー。大塚愛の『さくらんぼ』でもいいし、ケツメイシの『夏の思い出』でもいい。僕自身はなんの思い入れがなくても、そういう時代性を色濃く反映した楽曲のコメント欄を覗くと、自然とあの頃を懐かしむ声が集まってくる。

この曲を一緒に聴いていた彼女が今は奥さんです、なんて微笑ましい告白もあれば、昔好きだった人がよくカラオケで歌ってました、というノスタルジックな思い出もある。それらを読むたびに、なんだかちょっと同窓会みたいな気持ちになるのだ。

 

もちろん誰のことも知らない。だけど、この音楽が流れていたとき、僕も彼らも一生懸命生きていて。そこからうれしいこともいっぱいあった反面、辛いことや悲しいこともそれなりにあって。それでも、あの頃思い描いていた何十年か先の未来に立った今、こうしてまた同じ音楽を聴いてコメントを残している。お互いちゃんと生きてきたんだ、という事実になんとも言えない心強さのようなものが湧き上がってくるのだ。

あの頃は楽しかった、と過ぎた日を惜しむ人もいる。こんな大人になるとは思わなかった、と悲観に暮れる人もいる。もう一度戻りたい、と叶わない願いをこぼす人もいる。そのすベてがいとおしいと思う。

同じようにしんどい人はたくさんいるんだ、と安心したいわけではない。ましてや自分より不幸な人を見下したいわけでもまったくない。

ただ、こんなどうしようもない時代を、みんな自分なりになんとか生きてきたんだ、と。そしてこれからもぽきりと折れてしまいそうな自分の弱さを抱えながら生きていくんだという“確認作業”。たくさんの人の生存報告を確かめていくうちに、ざあざあと不気味な音を立てていた心の波が凪いでいくのを感じる。真っ暗な部屋の中で、不健康なブルーライトを顔面に浴びながら、静かに眠気が訪れる。

 

夜の闇に、少しずつオレンジが混ざって葡萄色に染まるように、寂しさと痛みと息苦しさと泣きたい気持ちがマーブルみたいに溶け合って、誰もいない雪原に倒れ込むような穏やかな安らぎに変わる。その瞬間が、心地いい。そうやって僕は死にたい夜を乗り切っている。

人生は、ハードモードだ。しかもこのゲームのクソゲーたる所以は、設定を自分で変えられない。難易度を低くしたいのに、それさえ叶わず、望んでもいないピンチとかトラブルとかストレスとかに滅多打ちにされる。一生クリアなんてできそうにない。

それでも、ちゃんと自分なりの処方箋を持っていることで、なんとか自分からゲームオーバーを選ばずにすんでいる。エラい人の名言でも成功譚でもなく、他の人から見れば取るに足らないものが、案外人を救ったり支えたりするのだ。
 

 

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イラスト/millitsuka
構成/山崎 恵
 

 

 

前回記事「「物を買ってもらうこと=悪いことだと思ってない?」全く向いてなかった営業マン時代、あの頃の記憶がふと蘇ったワケ」はこちら>>

 
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