「料理会」の意図
「さあ絵里ちゃん、特性キャロットケーキだよ、食べてみて!」
翌日。私はアパートの一室で、8人の女性にぐるりと囲まれながら、紙皿のうえに置かれたオレンジ色のスポンジを前に、固まっていた。
――ちょっと、思ったのと違う、雰囲気だな……。
北海道の一軒家でお料理をつくったあと、みんなでいただく会だと思いこみ、朝ごはんしか食べずに、手土産に彬に頼んでおいた3000円の大きなロールケーキと美味しい紅茶を持ってきた。本当はシャンパンといきたいところだけど、みんな車だろうと思ったから遠慮した。
しかし車でやってきた先は、町はずれの木造アパートの一室。てっきり仲間内の主婦の家だと思っていたが、どうやらここは家族暮らしというよりも1人暮らしの家だ。
10畳ほどの和室に私を含めて9人が入っている。到着するや否や、すでに出来上がっていたスポンジケーキが切り分けられた。料理会というくらいだから一緒に作るのかと思ったのに……。
当惑しながらも、ケーキをぱくりと一口。私、紅茶を淹れましょうか? と訊いたが、皆にこにこしながら首を振る。
「どう? すっごくおいしいよね? これ、ハーブがいい仕事して保存料も添加物も入ってないし、この特別な調理器具だからこんなにおいしくなるの!」
山田さんが台所にある大きなオーブンのようなものを指さす。
「あたしたち、全員このオーブン持っててね、しょっちゅう特別なハーブを使ったレシピ交換会してるんだ。絵里ちゃんも入ろう! このオーブン、本当は100万円くらいするんだよ。ヨーロッパ製でさ。でもリーダーのさつきさんから買うと、なんと絵里ちゃんは4割引きなの!」
「ひ、百万!? いくら4割引きでも、買えなないです」
雲行きがあやしい、と気づいたときには、にこにこ、にこにこした皆さんに周囲を囲まれていた。
「大丈夫、ローンで5年払いにできるんだあ。私も毎月1万円にしてもらってる。しかもね、絵里ちゃんがこの先、誰かをさつきさんに紹介してそのひとが買ったら、絵里ちゃんのところに10万円も入るの。いまはやりの副業だよお」
そのとき私の胸に湧いてきたのは、意外なことに怒りでも恐怖でもなかった。
「……じゃあ私が今日、そのオーブンを買うと、山田さんに10万円、入るんですね?」
「あッ、絵里ちゃん、もしかして誤解してる!? 違うちがう、あたしはただ、転勤してきて友達がいない絵里ちゃんに、仲間を紹介したかっただけで……」
「マルチ商法は、そうと知らせずにこんなふうに連れてきて、商品を売りつけるのは禁止されてるはず。……ごめん、私、オーブンにもハーブにも興味がないから、帰るね」
この「グループ」の長であり、このアパートに住んでいるらしい「さつきさん」は、あらあら、誤解されちゃった、都会のひとは怒りっぽいのね、と棒読みに笑った。
でも目が笑っていない。でもここで弱気な姿勢を見せたらだめだと、本能が察知する。これまで私は、こう見えて相当空気を読むタイプだったけれど、平気なふりができないほど……
私は傷ついていた。
「待って待って、絵里ちゃん! 誤解だってば。黙って連れてきてごめんね。でもほんとにいいものばっかりだからさ、絵里ちゃんにも紹介したくて」
「……最初からそう言ってくれればよかった。なんか、友達ができたような気がして、舞い上がっちゃったから。考えてみたら、そう簡単に友達なんてできるものでもないし、そもそも無理に作るものじゃないのに」
彬の言葉がふいによみがえる。
いい大人が。東京ではいつでもやることや仲間に囲まれていて気付かなかった。
淋しいは、危険だ。隙間がいっぱいできる。こんなにも。
「……なあんだ、転勤妻って、たいていお付き合いとかっていくつか買ってくれるのに。あのマンション、うちの町で唯一鉄筋でさ、駅前だからさ、都会から来た人、みんなあそこに住むのよ。で、1年か2年で入れ替わんの。みんな知ってるよ。あそこに住む人は友達欲しがってるって」
山田さんは、さつきさんと同じ目で、こちらを見た。
私はぐっさりと見えない杭で心臓を刺されたような心地で、うつむく。こんな風に、誰かに冷めた悪意を向けられたのは人生で初めてだった。
もう後ろを振り返る元気はない。アパートを飛び出すと、とぼとぼと、殺風景な国道沿いを歩き始めた。
秋の夜長、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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