不審な男
「え?」
癖のある英語のアクセントで、一瞬、何を言われているのかわからなかった。
一拍置いて、ようやく理解し、さっきターンテーブルから引き取った黒いスーツケースに目をやる。シンプルなデザインで、とくに日本人には持っている人が多いメーカーのもの。
日本では取り違えないように毎回慎重にピックアップしていたが、そういえば海外ではあまり同じタイプを見かけなかったから油断していた。取材機材やPCは機内持ち込みにしていたので、スーツケースに着替えしか入っていなくて、正直、注意が薄れていた。
目印につけておいたキーホルダーもいつの間にか取れている。確かに、何の迷いもなくコレをとってきたけれど……もしかして、私のじゃない!?
声をかけてきた男は、痩せて、キツネのような印象の男性だった。キャップを目深にかぶっていて、慌てているのか、薄い唇をせわしなくペロリと舐めている。
彼が手に持っているのは、まったくい同じタイプとカラーのスーツケース。
「え、すみません、そっちが私の……? ちょっと開けてみます」
私が慌てて自分が持ってきてしまったほうのTSAロックダイヤルを回そうとすると、彼はすごい力で荷物を奪い、自分が持っているほうを押し付けてきた。その乱暴なしぐさにぎょっとしながらも、私は慌てて男が持ってきたスーツケースのロックダイヤルを回した。
かちり、と音を立てて、開く。……つまりこっちが私の。中を見ると、中の仕切りのベルト金具が外れているし、間仕切りのチャックも半開き。きっちり閉めたはずなのに!? もしかして私のキャリー、勝手に中を探った!?
顔を上げると、男はもう用はないとばかりに私が運んできたスーツケースをひったくって小走りに去っていく。
「ちょっと~、いくらこっちが悪いからって、荷物を無断であさるなんてひどいんじゃ……」
日本語でつぶやいてみたものの、もう届くはずもない。貴重品を入れていなかったことが幸いだ。ロックはかけていたけど、一番メジャーなタイプだから多分開ける方法はいくらでもあるんだろう。
どっと疲れが押し寄せた。飛行機関係のトラブルって、妙に心身にダメージがある。私は深々とため息をつくと、スーツケースをロックして、ホテルシャトル乗り場に急いだ。
恐怖のチャイム
――ピンポーン
あまりにも深く眠っていたせいか、部屋のインターホンで覚醒しても、自分が空港近くの素っ気ないホテルにいると思い出すのにしばらくかかった。そのまま、次のチャイムが鳴るまで5秒ほど固まっていた。
――あ、そうか、ホテル……今何時!? まさか朝? フライト乗り過ごした!?
ぎょっとして飛び起きると、傍らで光るデジタル時計を見る。朝の4時半。眠ったのが0時くらいだから……まだ体が深夜時間。秋のヨーロッパらしく、まだ窓の外は真っ暗だった。
取りなおしたフライトは朝の9時だったから、この空港近隣ホテルは7時に出れば大丈夫。目覚ましも6時にセットしていた。寝過ごしたわけではなさそう。もっとも乗り過ごしたからって誰かが起こしに来てくれるはずもない。
……ということは、誰が来たの?
私は身を固くして、そうっと起き上がった。部屋を間違えているのかもしれない。あるいは、なにか「良からぬ来客」か。
一応、新聞記者の端くれとして、眠っていた危機管理センサーが発動する。あかりをつけず、物音を立てないようにそうっとのぞき穴を覗くと……。
私は恐怖のあまり、思わず小さく声を上げた。
空港の男だ。フードとキャップをかぶっているけど、間違いない。キャリーケースを持って追いかけてきたキツネ顔の男。しかもなんと男二人組だ。
秋の夜長、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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