性別に関わらず、仕事も仕事でない時間もどっちも必要なわけ


共働きで夫婦一緒に子育てする世帯が増えるにつれて、自身を縛っていた幻想にも気が付きます。女は生まれながらに家事と育児が得意なようにはできていない。人には他者を受容し労わる性質(母親の美徳とされる性質)と他者を教え導く性質(父親の美徳とされる性質)のどちらもがあり、そのバランスには個人差があって、母性的な男性も、父性的な女性もいるし、同じ人間でも母性的な時と父性的な時があるのは当たり前だよね! と、目から落ちた鱗が降り積もって床が見えないほど。
日本には世界でも最も手厚いレベルの男性育休制度があるにも関わらず、まだ17%余りしか取得されていないのも、もったいない限りです。制度だけ作っても、人の行動が変わらないと社会は暮らしやすくなりません。

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パイヴィさんの「私は離婚することができたんです」には、自身が経験した社会の変化の実感が込められています。女性も男性も幸せに生きられる社会は、全ての人の利益になるはずです。それには、性別に関わらず経済的な自立を可能にすること、そして絶えず「人間には仕事も仕事でない時間もどっちも必要だ」と唱えること、人や自然とのつながりの中で生きる喜びを実感する機会を持てるようにすることが不可欠です。世の中はまだ、男性優位、有償労働至上主義を脱する途上にあります。だから「男性よ、もっと家庭に。もっとケアの経験を」と言い続けることが大事なのですね。ムーミンの国は決して完璧ではなく、フィンランドにも色々な問題はあるけれど、ジェンダー平等と幸福という観点から見れば、日本が学ぶべきことはたくさんあります。

 

半世紀前から大きく変わったフィンランドと、大陸移動並みに動きの遅い日本。その違いはなんでしょうか。最後に「どうやったら従来の価値観と人々の行動を変えることができるのですか。その鍵は??」と尋ねると、パイヴィさんは「強いないこと」と繰り返しました。人々に生き方を強制しても、うまくいかない。答えを押し付けるのではなく、国が具体的な選択肢を増やし、多様な価値観を可視化することを積み重ねれば、人々はより柔軟に生きることができるようになる。結果として社会はより自由に、より幸福になるのです! と。なんだか子育ての真髄にも通じる言葉ではないですか。人も社会も、受容し、ああもこうも生きられるようにすることが成長につながります。

 

手渡された日本語のパンフレットには「カルサリカンニ」というフィンランドの言葉がイラスト入りで紹介されていました。自宅でパンツ一丁で酔っ払うことを表す単語だそうです。「ストレスから解放される至福のひとときです」と解説が。フィンランドは北欧の中でも感情表現が少なめで物静かな人が多いと聞くけど、国民一人当たりのメタルバンドの数が世界一という意外なデータも。人生にはストレスがつきものです。その発散の方法がおうちでパンイチ飲酒だろうとみんなで爆音陶酔だろうと、はたまた子どもにご飯を作ることだろうと、人それぞれに「今夜も楽しかったなあ。よし、明日もここで生きてみるか!」と思える環境作りが、何より肝心ですね。

 


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