ホットライン

オレが一喝すると、少年はしゅんとなって下を向いた。ほっぺたの透明な産毛が、頼りない。オレはやるせない気持ちになって、ため息をついた。

「家に帰って、親に正直に言って、個人情報渡しちまったって弁護士に相談してみろ。闇バイトにひっかかったときの電話相談とかもあるぞ、待ってな、メモしてやる」

オレは名刺を取り出して、裏にスマホで検索して番号を書いて渡した。彼はどうしたらいいのか迷っている様子で、それでもおずおずとその名刺を受け取った。

「でも、金が必要なんだ……それに親なんていたら、最初からこんな苦労してない」

絞りだすような言葉と同時に、はす向かいのマンションのエントランスから、初老の女性が出てきた。手に小さな紙袋を持っている。部屋着のまま出てきているから、どこかへ行くつもりはないのだろう。彼女が小島文子に違いない。

「別に、オレはさ、お前が闇バイトで人生を棒に振ろうがどうしようが、関係ないんだ。ただ、そこはどいてくれって話」

少年は、怒りを含ませた視線を投げてよこした。甘えるな。

「いくら金が必要でも、そんなことしたってトカゲのしっぽ切りに合って、下手すりゃ逮捕されて賠償する羽目になるぞ。未成年だってこの手の犯罪の処罰は厳しいんだ」

小島文子が、きょろきょろと周囲を見ながら、道路に身を乗り出している。少年は、焦ったように視線を泳がせた。

「行くならいけ。オレは忠告したぞ」

あえてそう言い放つと、くるりと背中を向けた。階段をのぼりながら、あの子が置かれた境遇を想像する。

オレとあの子がやってることは、傍目にはもしかしてそう変わらないように見えるかもしれない。でも全く違う。

ずっと誰かに、今でさえ会社に守られているオレと、親にさえ守られなかったあの子は。

誰からも、忠告されず、社会の闇に飲まれようとしているあの子とは。

 

「おじさん、あの」

踊り場で振り返ると、少年が立っていた。ぶかぶかのスーツを脱いで、手に持っている。

「おれ、やっぱり、やめます」

おう、とオレは答えた。「誰がおじさんだ、また30だよ」と言い返す。

下の道路をのぞくと、小島文子は、首を傾げなから、エントランスのなかに戻っていくところだった。オレは、彼女の背中に向かって「それ、詐欺ですよ! 誰か来てももう渡しちゃだめっすよ」と大声で叫んだ。ぎょっとした小島さんが振り返るが、オレは少年の頭をつかんで、二人で階段の壁に隠れた。

「これからどうなるのかな……」

少年がうつむく。薄い肩が、少し震えていた。

「まずはさっきの番号に電話だ。それから警察に相談すれば、まだ何もやってないんだ、悪いようにはならないよ。それから」

オレは少年が握りしめている名刺をあごでくいっと指した。

「ま、腹がへったらさ、電話してきな。飯くらいいつでもおごるよ。いつでもいいぞ。ただし張り込み中は出られないこともあるからな、懲りずに何回かかけてくれよ」

少年は、名刺を裏返すと、初めて嬉しそうに笑った。年相応の、可愛らしい笑顔だった。

 

次回予告
空港で、奇妙な動きをする女性。そのときスタッフが取った行動とは?

小説/佐野倫子
イラスト/Semo
編集/山本理沙
 

 

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