—— 多様性や、インクルーシブな社会、ということが声高に言われるようになってきた昨今でも、まだまだ改善が必要なことは多そうです。
そうですね。だからこそ、いま私が会長を務めている「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」の活動を、より広く多くの方に知っていただけたらと思っています。
4歳のころ娘に、知的な遅れを伴う自閉症という診断がついたので、療育手帳を申請しました。障がいの程度を調べるため、児童相談所を訪れ、臨床心理士さんに発達検査をしてもらいました。
療育手帳のおかげで、娘は暮らしやすくなりました。等級にもよりますが、送迎中の路上駐車が認められたり、交通機関の割引があったり、施設の入場料が割引になったり……。
それは非常にありがたいことなのですが、娘に知的な障がいがあると公的に認められることは、親としては何とも複雑な気持ちなりました。とても周囲に話せる心境ではなく、日々のことでせいいっぱいでした。
自宅近くを娘と歩いていたときに通りすがりの年配の女性に、「まだおしめなの」と、母親としてなっていないと怒られたこともあり、心を守るのに必死でした。
そんな中でたわいもない話をしながら、一緒に近所を散歩してくれたり、自宅に呼んでくれたり、学生時代の友だちには、ずいぶんと助けられました。
——「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」の活動を始めることになったきっかけは何だったのでしょうか?
勤め先の朝日新聞社で短時間勤務を利用できる期間は当時、子が小学3年の年度末まででした。
必死の思いで復職した私でしたが、職場を退室するたびに、「ああ、また働ける日が減ってしまった」と肩を落とし、社会から切り離されていくような孤独感が日々募っていきました。
何とかしなくては。
娘の笑顔を今も私の死後も守り抜くには、私が働き続けるしかない。
家族が寝静まった夜、布団の中で涙するたびに、次第に覚悟がかたまっていきました。
短時間勤務の期限が切れるまであと4年。この間に「働きづづける道筋」をつけなくては。
そうして、復職した翌年、社内にある労働組合執行部の門を思い切ってたたいたのです。
【つづき】第11回はこちら>>>【障がい児を育てながら働く⑪】多動だった娘が「1人で眠り、宿泊行事に参加する」ほどにまで…小学校の6年間で感じた、めざましい成長
著者プロフィール
工藤さほ
1972年12月生まれ。上智大学文学部英文科卒。1995年朝日新聞社に入社。前橋、福島支局をへて、東京本社学芸部、名古屋本社学芸部、東京本社文化部で家庭面、ファッション面を担当。2012年育休明けからお客様オフィス、2019年から編集局フォトアーカイブ編集部。こども家庭審議会成育医療等分科会委員。東京都出身。
★第3回オンラインセミナー開催決定★
2023年3月9日(土)「多様性を認め合う風通しのよい社会を目指して」<終了しました>
連続セミナーの最終回となる今回は、衆議院議員であり、障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会顧問の野田聖子さん、障がい児や疾患児の両立支援制度の拡充を4月から実施するJR東日本会長の冨田哲郎さん、障がい児を育てる家族への支援を今年の春闘に盛り込んだ電機連合中央執行委員長の神保政史さんをお招きし、お話を伺います。参加は無料。事前にお申し込みが必要です。申し込み受付期間は、3月3日(日)まで。
詳細・お申込はこちらから>>
★「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」は、朝日新聞厚生文化事業団の共催で連続セミナーを開催しています。過去のセミナーはこちらからご視聴いただけます。
第1回 障がい児・医療的ケア児の親と就労「障がい児を育てながら働く 綱渡りの毎日」
第2回 障がい児・医療的ケア児の親と就労「取り残される障がい児・医療的ケア児の親たち」
★「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」へ参加ご希望の方はこちらからお申し込みください。
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朝日新聞のポッドキャスト・インターネットラジオ配信 (asahi.com)「卒業おめでとう、で片付けられない 障がい児を育てて思い知る手薄な両立支援」(後編) #570 【朝ポキ】
構成・文/工藤さほ
編集/立原由華里
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