日本人の特性と「セックスレス」


その頃は既に、セックスレスという事象が世間で話題になっていました。何年も、もしくは何十年も性的関係が無い夫婦は珍しくないと、婦人雑誌などで盛んに取り上げられていたのです。

その手の雑誌を読むと、「レス」状態にある人の飢えは、深刻のようでした。色っぽい下着を身につけてみたものの夫には気づかれもしない、とか。思い切って自分から夫の身体に手を伸ばしたら、
「お前は色○チガイか」
といった暴言を吐かれて傷ついた、というケースもありました。決して笑い話で終わらせることはできない渇望が、妻達の中には渦巻いていたのです。

夫婦間でのセックスがレスとなっても、男性は風俗などで比較的容易に、レス状態を解消することができます。しかし女性の側は、話は簡単ではありません。そんな女性達を救済するためのボランティアというかお商売というか、そういった活動も登場しましたが、普通の主婦が気軽にその手のサービスを利用できるわけではない。

セックスレスという言葉の登場は、寝た子を起こす働きをしたように思います。何となくなく消滅していた、夫婦間のセックス。「ま、そんなものか」と思っていたというのに、「セックスレス」という言葉が登場した結果、「えっ、皆は中年になってもしょっちゅうしてるの?」とか「うちは異常なのかしら」とか「セックスしている人の方が心身ともに健康になるって本当?」といった疑心暗鬼が、呼び起こされてしまった。

それによって、ほとんど消えかかっていた性欲の火種に、油が注がれたような人もいました。まさに、眠りについていた性欲が起こされ、「このまま終わっていいのか?」と、焦燥感がメラメラと燃え上がるように。必死になって婚外セックスを求めていた主婦もいましたっけ。

各種調査においても、日本人はそもそものセックス回数が世界最低レベルであるという結果が出ています。おそらくは、若い頃のセックス密度も薄いでしょうし、またセックスからの引退年齢も、諸外国の人よりも早いのではないか。

従来の日本人は、「そういうものだ」と思って、生きてきたのです。周囲と比べずにいれば、性的にも穏やかに、平和に暮らしていくことができた。

しかし我々は、つい自分の家と他人の家を、そして自国の民と他国の民を、性欲の部分で比べてしまいました。結果、我が家は/我が国はセックスが足りていない、ということに気づき、悶々とすることに……。

日本人の特性を考えてみますと、セックスレスになるのは当然のように私は思います。世界に冠たる長寿国である日本では、結婚生活もまた延々と続きます。その間に同じ相手と同じ頻度でし続けるというのは、無理がありましょう。

また我が国の国民は、新しいもの好きという特徴も持っています。いくら愛情があっても、同じ相手に対していつまでも性欲を抱き続ける、というのは難しかろう。さらには、日本の女性達が古来、男性達を甘やかし続けてきたせいもあってか、日本男児の性欲は、かげろうのように繊細。配偶者を相手に性欲をキープし続けられるのは、かなり鈍感力の強い人なのではないか。


「どうにもならないこと」と悟ってしまった


だというのに、中年期になってからハタと「我が家はセックスレス」と気づいて身もだえるようになった日本女性の、何と多かったことか。一人だけが「したい」と思っても成立しないのがセックスですから、夫婦間で性欲が一致しないと、双方が不幸になります。

一方で、男性向け週刊誌には、「死ぬまでセックス」とか「100歳までセックス」といった見出しが躍っていました。その手の雑誌を見ると、彼等がセックス相手として想定しているのは、糟糠の妻ではなく、自分よりもうんと若い女性。日本の夫婦は、互いにセックスを強く欲していながらも、「でも『する』のは、夫/妻じゃない人がいい」と思っていたのです。

その頃は、
「最後の出産以来、何も私のマタを通過していない」
「セカンドバージンとはまさに私のこと」
などといった会話が、私の身近でも盛んになされていたものです。普通の主婦も「これでいいのか私」と悩んでいましたが、それからしばらく時が経つと、レスはそれほど話題に上らなくなってきたではありませんか。

日本の夫婦が「これではいかん」と、急にセックスに励むようになったわけではありません。むしろその逆で、「どうにもならない問題について、これ以上騒いでも仕方がない」という感覚に至ったのです。いくら、
「夫婦がセックスしないなんてけしからん!  アメリカでは、セックスしないということだけで離婚の理由になるというのに!」
と猛り立ったとて、相手の性欲が湧かないものはしょうがない。

一時は、熱にうかされるかのように、したいしたいと呟いていた日本の中年男女は、「言ってもどうにもならない」と、悟りました。男性は、若い女性に下手にちょっかいをかけたならセクハラ扱いされてしまいますから、そのようなことも控えて、せいぜい風俗程度に。そして女性は、子供への愛、そしてジャニーズや韓流などのアイドルとの妄想恋愛といった代替物で、性愛への欲求を満足させるようになったのです。

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とはいえ、「したい」という欲望を持った婦人たちは、どのようにこの後の「性人生」を歩んでいけばよいのでしょう。酒井さんの考察は後編へ続きます。
 

前回記事「「乗り越える」ものから「付き合う」ものへ【朽ちゆく肉体、追いつかぬ気分・後編】」はこちら>>

 
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