貧困撲滅のための国際デーを児童書から読み解いてみる


10月17日が、国連が制定した「貧困撲滅のための国際デー」だということ、ご存じですか? 恥ずかしながら、本稿を書いている児童書編集者の私は知りませんでした。
ホームページ上の情報を集めてみまして、世界中で苦しむ人々を貧困から抜け出させ、不平等を縮小する方法を、誰もが身近なレベルで考えるきっかけの日――と理解しました。児童書をつくるセクションで働く私からすると、身近、かつ無視できないのは、「子どもの貧困」です(「子どもの、というより、親の、では?」と思ったりしますが)。
日本のおよそ7人に1人の子どもが貧困状態にあります。
この「7人に1人」という数字は、すでに何度か目にされているかもしれませんが、別に子どもたちを救うボランティア団体が算出した数字ではありません。厚生労働省が発表している数字です(「平成28年 国民基礎調査/貧困率の状況」より)。
さらに言えば、ひとり親の子どもの貧困率は50%を超えるそうです。死別、離婚など原因はさまざまでしょうが、両親のどちらかがいなくなった家庭の子どもの2人に1人は貧困状態にあるのです。
今年の10月17日、ドイツのフランクフルトで行われるブックフェアで、ある日本の児童書が、国際推薦児童図書目録『ホワイト・レイブンズ』に加えられることが発表されます。
書籍のタイトルは『むこう岸』、著者は安田夏菜(やすだ・かな)さんです。
ホワイト・レイブンズとは、ミュンヘン国際児童図書館が優れた児童書を世界中の子どもたちに広める目的で作成している図書リストで、今年は59か国、37言語、200作品が掲載されるそうです。日本からは『むこう岸』を含む8作品が選ばれました。
この小説が選ばれた理由は明白です。フィクションとはいえ、日本の子どもたちが直面している「貧困」を描き切った点にあります。国連で決められたSDGs(持続可能な開発目標)のひとつに、「貧困をなくそう」が掲げられていますから、現在の世界で子どもたちに伝えたいストレートなテーマ設定の物語だと言えます。

 

有名中学を落第した少年と生活保護世帯の少女

7人に1人の子どもが貧困の日本。「貧乏は自己責任?」を考える児童書が注目を集める_img0
 

『むこう岸』という物語の内容を簡単に紹介しますと――。
主人公は、中学3年生の少年と少女です。
小さなころから勉強だけは得意だった山之内和真(やまのうち・かずま)は、必死の受験勉強の末に有名進学校に合格しましたが、トップレベルの生徒たちが集まる環境で埋めようもない能力の差を見せつけられ、中3になって公立中学への転校を余儀なくされました。もちろん中学では、転校の経緯を隠して生きています。
ちっちゃいころからタフな女の子だった佐野樹希(さの・いつき)は、小5のとき事故で父を亡くしました。父の飲酒運転が原因でした。残された母と娘でしたが、そのとき母のお腹には新しい命が宿っており、いまは母と妹と3人、生活保護を受けて暮らしています。
ふとしたきっかけで顔を出すようになった『カフェ・居場所』で、ふたりは互いの生活環境を知ることになります。和真は「生活レベルが低い人たち」と樹希に苦手意識を持ち、樹希は「恵まれた家で育ってきたくせに」と、和真が見せる甘さを許せません。
暮らしぶりの違うふたりは、言ってみれば対岸にいる者どうしです。反目するふたりでしたが、ふたりとも「貧しさ故に機会を奪われること」に不条理と怒りを覚えます。中学生の前に立ちはだかる「貧困」というリアル。しかし、彼ら自身が、「貧しさ故に、樹希は進学するという将来の夢をあきらめなくてはならないのか」という問題に対して、手探りで一筋の光を探し当てます――。


実際の生活保護制度を物語に織り込んで


子どもの貧困問題に取り組んでいるNPO法人キッズドアの渡辺由美子理事長のお書きになった記事を読んでハッとさせられたことがあります。日本における子どもの貧困の根本原因は、「子育てや教育に税金を投じられていないという日本の社会構造にある」というご指摘です。
登場人物の樹希は、将来、看護師になりたいという夢を抱きながらも、担当ケースワーカーの「まあ基本的に、生活保護家庭のお子さんは高校を卒業すると、『働く能力あり』ってことになるんだよね」という言葉に生きる気力が削がれてしまいます。
社会の構造そのものに差別から逃れられない仕組みが内在しているのであれば、制度に無関心な人たちは、ますます受けられる支援を見逃し、貧困が加速することでしょう。
さらにいえば、ある市役所の生活保護を担当する職員たちが、「保護なめんな」「不正受給者はクズだ」と書かれたそろいのジャンパーを着込んで受給者を威圧した問題が起きたことがあります。生活保護を受給する側が、社会から罪悪感を植え付けられているケースは、これに止まるものではありません。
『むこう岸』という小説の特性は、実際に運用されている生活保護の制度を物語に織り込んで、少年と少女が、あくまでも現実的に貧困から脱出する方法を模索する点にあります。
和真は、「生活保護受給世帯の子どもは、本当に高校卒業以後の進学の道が絶たれているのか」について、図書館で参考となる本や資料を調べて、こんなことを言います。
「結局、制度というものは、知らなければ確実に損をするってことだね」
「貧乏は自己責任だと言う人もいるけれど、この法律(生活保護法)はそんなふうには切り捨てない。努力が足りなかったせいだとか、行いが悪かったせいだとか、過去の事情はいっさい問わない。本当に困窮している人々には、すべて平等に手を差しのべようという……。これを読んだとき、ぼくは人間を信じてもいい気がしたんだ」


ジャーナリズムの世界からも認められた児童書


『むこう岸』は今年5月、第59回日本児童文学者協会賞を受賞しました。これは幼年童話からYA(ヤングアダルト)まで、いわゆる児童書に贈られる文学賞です。
一方で、これまでに紹介したとおり、「貧困」と真正面から向き合っているという特性について、ジャーナリズムの世界も見逃しませんでした。「反貧困ネットワーク」(世話人代表・宇都宮健児弁護士)が主催する貧困ジャーナリズム大賞の特別賞が、『むこう岸』に贈られたのです。
これは「貧困問題への理解と意識を持ち、正確にかつ継続的に報道するなど、顕著な報道活動を行ったジャーナリスト個人を対象」に受賞者が選ばれており、児童文学作家の受賞は今回が初めてだそうです。受賞理由は、「生活保護制度の利用と進学の関係など、最新の情報にもとづいて記述されており、生活保護制度への正確な理解を促しているという点でも特筆すべき小説」ということでした。
この児童書が認められた理由は、いま社会の課題である「子どもの貧困」を描いたからということがあるでしょう。しかし、対象となる読者に目を移して考えますと、小学生、中学生、高校生たちが、世の中の理不尽について感じていないはずはなく、その部分について嘘なく描いた小説だからこそ受けいれられているのだと思います。
「SDGs」「子どもの貧困」といった大きなキーワードを耳にしても、私など「大変な問題なのはわかるけれど、できることはあるのかな?」と考え、立ち止まりがちです。
しかし、『むこう岸』は、あくまで子どもたちに届ける児童書です。その物語としての読みやすさは、きっと、「子どもの貧困」を考えるハードルを下げてくれることと思います。

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『むこう岸』
安田夏菜/著


「『貧乏なのはそいつの責任』なんて蹴っ飛ばし、権利を守るため、地道に情報を集める二人。うん。痛快だ。」(ひこ・田中氏) 
第59回日本児童文学者協会賞受賞作品。貧困ジャーナリズム大賞2019特別賞受賞作品。
和真は有名進学校で落ちこぼれ、中三で公立中学に転校した。父を亡くした樹希は、母と妹と三人、生活保護を受けて暮らしている。『カフェ・居場所』で顔を合わせながら、お互いの環境を理解できないものとして疎ましく思う二人だったが、「貧しさゆえに機会を奪われる」ことの不条理に、できることを模索していく。立ちはだかる「貧困」に対し、中学生にも、為す術はある。

 

文/片寄太一郎(講談社)



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