皇太子ご夫妻は「孤独な優等生」同士…雅子さまを支えた愛
皇太子さまへの愛が雅子さまの支えに
退職のご挨拶のため、外務省を訪れた雅子さま。1993年2月、霞が関にて。写真/JMPA
愛する感情をもったから、雅子さまは嫁ぐことにした。これがはっきりしていなかったら、雅子さまの嫁いでからの日々は、あまりにもつらい。逆に言うならば、これがはっきりしていたから、雅子さまは耐えてきたのだと思う。
のちに、雅子さまの病気療養が長引く気配になってきたとき、この婚約時の会見のことをあれこれ言う人がいた。承諾の言葉に加えて、「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」と言われたことを明かしたことも、批判めいて語られた。曰く、皇太子さまに対して「幸せになっていただく」とは何ごとだ。プロポーズの場での発言を公にして、これからの生活を有利にもっていこうとした、などなど。
だが、「一生全力でお守りします」という決め台詞は、皇太子さまの愛の証に違いない。そう言われ、雅子さまは幸せに感じたことだろう。幸せと思える言葉をかけてくれた人に、幸せになってほしいと思うのは、ごく当たり前のことだと思う。だって、そういうことを愛というのだ。
それを後になって、いろいろ言うなんて。ここは断然、雅子さまに肩入れする。賛同してくれる人は、少なくないはずだ。
と、ここまで書いておいてなんなのだが、結局、ここだと思う。「普通、愛ってそういうものでしょ」と思うか、「皇族は普通の人ではないのだから」と思うか。どちらの側に立つか、という問題だ。
孤独な優等生同士の皇太子ご夫妻
ご成婚当日の朝、ご家族に見送られて。1993年6月9日、小和田邸前にて。写真/JMPA・講談社
ここからは「普通、愛ってそういうものでしょ」と思う側として、書いていく。
愛とは厄介なものだと思う。
憎しみから問題は起こるが、同じくらい愛からも問題は起こる。
雅子さまはプロポーズを受けるにあたって、プロポーズしてくれた人に「努力したい」と表明した。会見での説明を要約するなら、お互いが幸せになれるよう努力する。そう表明したのだ。
なんという真面目な女性なのだろう。進学でも就職でも結果を出してきた雅子さまだ。結婚してからは有言実行、真面目に努力したに違いない。
香山リカさんは、著書『雅子さまと「新型うつ」』の中でこう書いている。
〈やや反語的になるが、もし雅子さまが「とにかく私がやりたいのは国際親善なのです。私は今後、世界の王室と連携して大きな仕事をしていきたいのです」などと堂々と言える人であれば、もしかするともう少し回復は早かったかもしれない。〉
だが、雅子さまはそのような主張をするタイプではなかった。
納采の儀を終え、ご両親とともに天皇皇后両陛下へご挨拶を。菊模様の振袖が華やかです。1993年4月12日、皇居・車寄にて。写真/JMPA
評論家の福田和也さんは、著書『美智子皇后と雅子妃』の中で、「誤解を恐れずに云えば、皇太子ご夫妻は、似た者夫婦なのだと思う」と書いている。二人に共通するものとして福田さんは、「孤独」と「期待に応える」をあげている。
皇太子さまは天皇家の後継ぎという宿命のもと、小さな頃から「一人でいること」「平等であること」を受け入れてきた、と福田さん。外交官の妻として不在がちな母のもと、双子の姉として育った雅子さまは小さな頃から聞き分けのいい「手のかからない子」だったと両親も証言している。
その二人が出会い、結婚した。二人で努力をしたことは、想像に難くない。だが、雅子さまは、心を病んでしまった。
続きは著書『美智子さまという奇跡』にて。
<書籍紹介>
『美智子さまという奇跡』
矢部 万紀子 著 幻冬舎 820円(税抜)
初の民間出身の皇后となった美智子さま。皇太子妃になられたときにはミッチーブームが起き、即位後も被災地や戦後の跡地を訪れるなど、国民に寄り添い、平和を願う姿は多くに人々の支持を集めました。令和の時代になり、雅子さまの病や眞子さまの結婚問題など、一般家庭と変わらない悩みを抱えている皇室。皇室の存在そのものが「特別な存在」から、今後どうなっていくのか?皇室報道に長く携わった著者による皇室論。
敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、
その当時のものを使用しています。
構成/高木香織、片岡千晶(編集部)
第1回「雅子さまの語学力を育んだ「家庭の方針」とは?〜幼少時のアメリカ生活と好きな童話」はこちら>>
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第4回「 スポーツ万能の雅子さま「中学時代に熱中したソフトボールとスキー」 」はこちら>>
第5回「ニックネームは「ブレイン(頭脳)」。ハーバード大学で磨きをかける雅子さま」はこちら>>
第6回「雅子さまと美智子さま、二人のプリンセスを育てた名門・雙葉学園の教えとは?」はこちら>>
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第9回「雅子さまに想いを寄せる浩宮さまが選んだデートの場所」はこちら>>
第10回「4年10カ月ぶりの外交官・雅子さんと浩宮さまの再会、そしてプロポーズへ」はこちら>>
第11回「雅子さまへ6年越しの一途な恋、皇太子浩宮さまのプロポーズ大作戦」はこちら>>
第12回「若く美しい雅子さまに報道陣からため息が…今よみがえる婚約会見」はこちら>>
第13回「初恋を貫き7年、恋が成就した浩宮さまの喜びと雅子さまの「キャリアより結婚」の決断」はこちら>>
第14回「雅子さまが直筆クリスマスカードに込めたご家族への愛」はこちら>>
第15回「「結果」だけを求められた雅子さまの喪失感……病に批判が集まった理由」はこちら>>
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矢部万紀子
1961年三重県生まれ。コラムニスト。83年朝日新聞社に入社し、記者に。宇都宮支局、学芸部を経て、「アエラ」、経済部、「週刊朝日」に所属。94年、95年、「週刊朝日」で担当したコラムをまとめた松本人志『遺書』『松本』(ともに朝日新聞出版)がミリオンセラーになる。「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理をつとめたのち、書籍編集部で部長をつとめ、2011年、朝日新聞社を退社。シニア女性誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長となる。17年に株式会社ハルメクを退社し、フリーランスで各種メディアに寄稿している。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)がある。3月26日に新刊『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』(幻冬舎)が発売予定。