今回は、私が最近最も嫌いな言葉「エモい」の弊害について書きたいと思います。
ちょっと前に大炎上した大阪市のPR事業「新今宮ワンダーランド」。もっと明確に言えば、2025年の大阪万博に向けて、大阪市西成区の新今西エリアの「ドヤ街」のイメージを浄化すべく企画&執筆されたnote「ティファニーで朝食を。松のやで定食を」という記事について。あまりにいろいろ問題すぎて、自分が語るべき問題がなかなか明確化できず、イマココなわけですが、何が素晴らしいってそういう時間経過の中で、他の多くの方が表面のビラビラ(本質から外れた議論)を刈り取ってくれること。

※新今宮ワンダーランド公式サイトより


「無邪気なイジり」ができる「無神経さ」


そういうわけで一通り収穫を終えた畑にいまだはびこる「根っこ=エモい」について今回も書こうと思うわけですが。とはいえあらゆる方面からの曲解を避けるために、ある一点ーーいわゆる「ジェントリフィケーション(紳士化)」についてーーを切り分けておかねばなりません。最近では渋谷の宮下公園の再開発がわかりやすい例ですが、つまりホームレスの屯する公園やドヤ街を再開発してイメージを一新させること。それに伴う地価の上昇で、社会的弱者を受け入れていた既存の住人もろともが町から追い出された結果、暴利を貪る人も出てくる、ということです。

※編集部注釈:「ジェントリフィケーション」とは、都市において、比較的低所得者層の居住地域が再開発や文化的活動などによって活性化し、高所得層や富裕層の流入などにより、結果、地価が高騰すること。

写真/Pixabay

私がこれを、他人事のように「弱者イジメ」と断じることができないのは、私が生まれた地域のほど近くにもそういう場所があったから。通り1本越えると街や人の雰囲気がちょっと変わり、配達中のトラックの荷台から物が盗まれる程度は日常茶飯事。そういう町には自然と寄る辺ない人が集まるし、臭いが出やすい夏の暑い最中なんかに、近隣に住む人達が「この町が安全でキレイな街になればいいのに」と思う気持ちはすごくよくわかる。

 

そこは、暴動が頻発し、昼間でも女性の独り歩きは非推奨というほど過激ではなかったので、自治体が乗り出すべくもなく、無邪気に入ってきた外国人観光客によってすっかり安全な街になってしまいました。でももちろんあそこにいた人たちが、この世から消えたわけじゃない。社会に貧困が影を落とすコロナ禍で、あの町を失った彼らの「その後」を想像せずにはいられないーーのですが。

まさにその視点がまったく欠けていることで、件の「松のやで定食」の記事は炎上したわけです。ドヤ街で偶然出会ったホームレスの青年と「デート」した書き手は、「可哀相と思うこと自体が差別」とでも言うように、青年の貧困に「無邪気(を装って)」イジり、笑いの場面を作ります。青年はもちろん、めったにいない「メシをおごってくれた奇特な人」にキレたりはせず、逆に「タバコ銭」代わりに求められた特技を披露しようとしたりなんかして。

こういう時に「当事者ふたりは別になんとも思ってないからOKでは」という人がいるのですが、これが(それもPR記事として)公にされれば、別の問題が生じるのは当然のこと。第三者は二人の立場の違いを見て、青年が怒らないのをいいことに行われる書き手の「無邪気なイジリ」は、彼の貧困になんら心情的共感のない「無神経さ」にしか見えません。

議論がズレてるなと思うのは、この書き手が「これは実際に自分が体験した事実です」と強調していること。つまり「だって本当に起こったことをそのまま書いただけだし」ってことなのですが、私から言わせれば、むしろ「美しくて子供っぽいファンタジー」であったほうがずっとマシ。

例えば「近くに来たら遊びにくるね」と言った彼女に、青年が「来なくていいよ」と答えてガード下に帰ってゆくーーその場面に「贅沢な、大切な時間を過ごした」というキラキラ胸いっぱいな感想しかないことには唖然とするしかありません。おそらくゴロの良さだけでタイトルに使った「ティファニーで朝食を」食べるホリー・ゴライトリーが、上流階級に憧れ寄生する高級娼婦だということも、おそらく筆者は知らないのかもしれません。

 
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