千夜一夜


「え……いや、ほんと違うの、説明下手でごめん。大学時代の親友とケンカしたって話」

「でも男ですよね?」

「まあ男性だけど、今はもう、毎年いただく農産物の御礼に年1回会うだけ。それに……」

亡くなった夫の親友でもあるから。

その言葉はかろうじて飲み込んだ。結婚していたことは、この職場で話をしたことがなかった。今そのことを自然に言ってしまいそうになるくらいには、この仲間たちに心を許していたのに。

弘美は長いこと嘘をついていたような気がして、また少し元気を失くした。

「大学時代の親友と年1回、43歳まで、か。いい話だねえ。シェヘラザードみたいだ」

年上の富田がにこにこしながら弘美の止まったグラスにビールを注いでくれる。

「シェヘラザード? ど、どこらへんが?」

弘美はさっぱり意味が分からず、訳知り顔の富田の顔を見た。

 

シェヘラザード。『千夜一夜』の語り手。物語が面白くなければ即処刑という状況で、毎夜命がけで残虐王に物語を語り続ける勇気ある知恵者。

 

「違うよ、その男さ。毎年ロミさんに贈物を送って、それを口実に会い続ける。拒否されたらそこで終わり。すべてはロミさんの気分次第。まさに馬鹿な王の目が覚めるまで物語を紡ぎ続けるシェヘラザードだ」

「ロミ編集長はバカじゃないぞ~」

酔っぱらった山本が混ぜっ返すが、弘美は虚を突かれて黙り込んだ。

「……贈物じゃないよ、農産物。これには過去に、いろいろな事情があるの」

「知ってるよ。ロミさん毎年とうもろこしとか新じゃがとか編集部に持って来てお裾分けしてくれるから。皮がついたまま蒸すといいとか、羊蹄メロンにバニラのせる食べ方とか教えてくれた、北海道出身の『友達』だよね。何かとロミさんを気にかけてくれてる」

弘美は今度こそ驚いて息が止まりそうになる。

とうもろこしの蒸し方を教えてくれたのは哲也だったのか。なぜか彬だと思い込んでいた。記憶とはあてにならないものだ。いつの間にか書き換えられていくのだ、こんなふうに。

そして哲也は、きっとこうして弘美をさりげなく支えてくれていた。会うのは年に1度だとしても、気づかないうちに。とてもさりげなく。

「知ってるかいロミさん、大馬鹿モノの王は、千夜と一夜経つ頃には非道を改め、シェヘラザードと結ばれるんですよ」