高卒シングルマザー、バスルームで決意


フルタイムで働く母の、帰宅後は戦争だ。まるで18時からもう一つの仕事が始まるかのよう。昼間、どんなにうまくミッションを達成していようと、あるいは頭痛を押してなんとか接客をしていようと、母タスクは容赦なく18時にゼロから始まる。

25分でパスタとサラダを完成させ、佐知と二人で食べたあと、佐知の入浴中に洗濯物を移動させていた桃香は驚いて声をあげた。

「ねえ、佐知、このスカートどうしたの!?」

夕飯のときはスウェットに着替えていて気が付かなかったが、佐知が小学校に着ていったはずのスカートに泥水の染みができている。洗面所に置かれたスカートはぐっしょりと濡れていて、おそらく佐知が手で洗ったのだろう。

「あーそれね。ごめん、明奈たちと揉めてさ、転んだ」

「ええっ!? 揉めた? ケンカしたってこと? 転ばされたの!?」

桃香は驚いて思わず浴室のドアを開けて、湯舟に入っている佐知に詰め寄った。佐知はやれやれといった表情で、バスタブに細い顎を乗せる。

「明奈たちがさ、公園に任天堂Switch持ってこないと遊ばないって。じゃあ行かないっていったら、Switchだけでも持ってこいとか言うから、断ったら険悪になって。そこになぜか中一女子まで出てきてケンカになったの」

「Switch? なんで公園でゲームするのよ?」

「ママ、昼間のこのあたりの公園なんてみーんなやってるよ。真面目な子は塾いってるしね」

「塾? 佐知も公文行ってるけど、あれ週1回……」

「レベルが違うって、週3、4で中学受験塾だよ」

中学受験。桃香は目をぱちくりさせた。子育て世帯に優しく、シングルマザーにも手厚いという理由もあって勝手知ったる下町に住んでいる。中学受験のために塾に通う子がいるとは意外な気がした。

「それにしたって、突き飛ばすようなケンカは見過ごせない! 公園にゲームだけ持ってこい、なんて発想が陰険すぎる。もし今度同じことがあったらママ、明奈ちゃんに話つけてくるから」

「そんなことしたら火に油だよ。大丈夫、火の粉は自分で払うタイプ。そんな弱っちかったら物心ついた頃からひとり親家庭なんてやってらんないよ」

桃香は言葉を失って、それから浴室のドアをすごすごと閉めた。

 

佐知の父親である元・夫と別れたのは佐知がまだ3歳の頃。佐知は父親の顔を知らない。最初からいないので、すっかり二人のフォーメーションが出来上がっている。小学校に上がってからは「家庭に向かない人で離婚した」と、言葉少なに説明してあるので、佐知も存在さえ怪しい父親の話をせがんでくることはなかった。

 

もう一度、びしょびしょのスカートを洗面所で手洗いしながら、桃香は密かに決心する。

明日はちょうど、佐知の小学校の担任と個人面談だ。それとなく、目を配ってもらえるように頼んでみよう。家の近くには大きな川があり、そのだだっぴろい河川敷では不良中学生がよくたむろしている。

桃香もこのあたりで育ったので、学校からはみ出してしまった中高生たちの行状と、たまり場になりがちな場所はわかっている。せめて自分の目が届かない放課後や土曜日勤務の日、少しでも佐知が危ない目にあわないようにできるだけのことはしなくてはならない。

「フリョーどもめ、高卒シングル母ちゃん舐めるなよ~!」
    
桃香はめらめら気合を入れながら、スカートをいつまでも押し洗いし続けた。