そして予想もしない、「あの仕事」がやってきた


そのニュースを知ったとき、真っ先に思ったのは「今すぐニューヨークに飛んで行って、終了までの3ヶ月、できるだけ観て目に焼き付けなくては」ということでした。

私にとって、ブロードウェイとウエストエンドに行きさえすればいつだってレミゼが観られるということは、大げさでなく生きる支えで、それを年に1回は見に行くことが1番の楽しみでした。それがあと数ヵ月で終わってしまう。それを見逃して正社員になりたいかと問いかければおのずと答えは出ました。今思えば、このオファーのタイミングで千秋楽が来たのは、演劇界に戻ってこいというサインだったのかもしれないとも思います。

普通に考えたらあり得ないかもしれませんが、そこは年季の入ったオタクです。迷わずブロードウェイ行きを決めました。

旅行代理店のアルバイトを辞め、3ヶ月の計画でニューヨークへ。観光ビザで滞在できる最大が3ヶ月なので、千秋楽のタイミングを計って渡米しました。ミュージカルをより理解しようと現地では語学学校にも通い、でもメインは観劇なのでそれを邪魔しないように午前中だけ通学しました。

 

大好きなレミゼを週1回は観て、合間にほかのミュージカルを片っ端から観ました。語学学校と観劇のみの生活なので、大学生の時から書いていた観劇ブログはより熱を入れて書くようになりました。

 

大好きなミュージカルを見て、自分なりの感想、分析を文章にする。

何十本も書くうちに、これは結構得意かもしれないという手ごたえがありました。思えば演劇制作会社でも旅行代理店でも、ひとつだけ褒められたのは「文章を書く」というスキル。社会人失格の自分ですが、もしも舞台を見て文章を書く、ということに絞れば、人並みに働ける……?

「レミゼ留学」から帰国した私は、終了のショックからしばらく抜け殻のようになりましたが、直感を信じて思い切って舞台関連雑誌の編集部に応募、なんと採用されました。

ここで編集・ライターとしての第一歩を踏みだします。激務でしたが私にしては長く、4年以上勤めました。

朝から終電まで仕事をするような日々でしたが、自分の知識や感性を総動員しながら、「書く」という唯一の特技を生かせる素晴らしい経験でした。

その後、舞台や芸術関連の編集・ライターとしていくつかの会社で働きます。しかし書くのは好きだけど社交性も協調性もない私。全体を俯瞰し、調整するのが役目の編集をメインで続けるのは無理で、また心身のバランスを崩してしまいました。最後に勤めていた編集プロダクションはドクターストップで退社します。フリーでやっていける自信など皆無でしたが、他に選択肢はありませんでした。

とりあえずフリーライターを名乗る名刺を作って配りはしたけれど、実際には校正のアルバイトでなんとかやっていこうと思っていた矢先、「あの仕事」のチャンスがやってきます。


町田さんが幼い頃に描いた夢が、ついに!? しかしその後訪れた予想外の転機とは? 次回は37歳で芸大挑戦を決意した経緯と、二足のわらじでめざすものをお伺いします。

町田麻子さんミュージカル&演劇ライター
1980年生まれ、早稲田大学第一文学部演劇・映像専修卒。大手演劇制作会社、出版社などを経て2012年10月、ライターとして独立。数々の大型ミュージカルのオフィシャルパンプレットに寄稿、演劇関連雑誌にて俳優インタビューやレポート記事を執筆。2018年4月より、東京藝術大学音楽学部楽理科に在学中。
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取材・文/佐野倫子
構成/山本理沙
写真提供/町田麻子さん
 


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