苛立ってしまう自分がイヤで鬱になりそうな不安


母親はとてもプライドの高い人。自分がまさか認知症になるなんて思いたくなかったのでしょう。その思いは娘も同じ。どこかで食い止めなければと言う必死の思いがありました。だから、脳活ドリルを何冊も買ってきたり、記憶力アプリを飲ませたり、母親の脳に刺激を与えなければと、大学生病院のフィットネスセンターで定期的に体を動かし、その帰りに外食するのを1つのルーティンとしたり。

ただやはりその年代の衰えは性急です。確実に忘れることの方が多くなり。私は母親の脳の衰えが、今一体どんな段階にあるのか、どんな種類なのか、認識するのに必死でした。もちろん診察を受けることを考えましたが、母親の強い抵抗に合います。自分はまとも、記憶力も低下していないと言い張り、病院に行く必要などないと。そうじゃなくて、認知症にならないために予防のために行くんだからと、すれ違うやりとりを繰り返しました。

そこで私は、別の検査だと母親に嘘をつき、いわゆる「物忘れ外来」に連れて行くのですが、そうなったらなったで、母親はなんだか別人のようにしゃんとして、脳も冴え冴え、記憶力や認知のテストも問題なくクリア。この年齢で大したモノですねなどと、医者に褒められたりしてしまうのです。予防の薬を、といっても、いや未だ必要ない、心筋梗塞をやったことがあるので副作用も問題と、薬は処方してもらえずじまい。

そうした中でも家族が見る限り明らかに認知症は進んでいくようで、じつはこの頃、自分が鬱になるのではないかと言う不安に襲われました。 母親が趣味であった習字や水彩画にも興味を示さなくなっていくことが、ある意味の尊厳を失っていくように見えたから、それが悲しくてたまらずに。いや同時に、自分がそういう母親に対して優しくできなくなっていたことに悩んだからなのです。なんで何もやらないの? と不安定に問いただすこともあったから。

 

以前外出先のパウダールームで目撃した母娘の姿を何度思い出したか。そして少し耳が遠くなっている母親に対して意図的に声が大きくなることも、その時の彼女と一緒、だから何かを言うたびに激しい自己嫌悪やってきました。やっぱり自分もそうなってしまうのだと思うと、悲しくて情けなくて。