思い出すだけで「冷や汗モノ」の藝大入試


藝大卒の知人に頼み、先生を紹介してもらうなどして周囲に助けられながら、どうにか勉強をスタートさせました。

しかし仕事と並行しているため、よほど意識しなくては受験生らしい勉強ができません。そこでまず、週1回のピアノの日はレッスン以外の時間も一切仕事を入れずに、ひたすら勉強すると決めました。

制限時間は半年。もうセンターの古文や英語、現代文は雰囲気勝負。楽理科で一番重要な小論文は、腐ってもミュージカルライター、いったん後回し。

最大の難関は和声という作曲の試験で、独学は不可能と判断し、レッスンを数回受けに行きました。付け焼刃この上ない状況です。

 

私の受験勉強は全く他の方の参考になるようなものではありません。でもとにかく、自分なりに知恵を絞り、時間がない中でできることを粛々と頑張りました。仕事と両立させるのはしんどく、フリーランスとして「ここで仕事を断ったらもう二度と発注してもらえないかも」と弱気にもなりましたが、どうにかやりくりをしました。

 

正月も休まず怒涛の受験勉強を経て、なんとかセンター試験も85%を奪取。いよいよ藝大受験の本番を迎えます。

音楽畑で育った音楽エリートの卵に交じって、ピアノが多少弾ける程度、すべて付け焼刃の38歳の藝大受験本番は、思い出すだけで冷や汗がでるほど。

視唱、つまり初見の楽譜を見て歌う試験では、カラオケは得意だしなんとかなる、と思い込もうとしていましたが、試験会場には教授がずらり十人ほど。「どうぞ」と言われても、声が喉に詰まって出てこないほど緊張しましたし、面接はものすごく厳しくて、ミュージカル愛と知識だけで乗り込んではいけなかったと悟りました。

3日にわたる試験を終え、「もう2度とこの学校に来ることはあるまい……」と噛みしめ、それなら見ておかなくてはと上野の美術展に寄ってから帰宅しました。

しかし、数日後、人生最大級の予想外が起こります。