二足のわらじは、人生の過程にすぎない


受かるはずがないと思いこんでいた私は、合格発表当日も仕事をしていました。発表から1時間ほど過ぎた頃、仕事が途切れたときにサイトにアクセスしました。同じグループだったメンバーの誰が受かったんだろうという興味本位程度に。

45、という数字を見たとき、頭の中は真っ白。システムのバグかな、と思い、母親にそっちのPCからも見える? と電話をしました。

まさかの合格です。

 

その後、仕事と両立できるのか? そもそもすぐ落第するに決まってる、と時折我に返りながらも、38歳にて藝大に入学し、紆余曲折ありましたが2022年3月にこれまた予想外に無事卒業しました。

 

仕事と両立した4年間は、綱渡りというか、「卒業なんてできるわけないから単位を気にせずなるべくいろいろな授業を聴講しよう」という気持ちでした。でもかえってそれが良かった部分もあると思います。

二足のわらじのいいところは、「絶対に○○しないと終わりだ」という思考にならず、いい意味で逃げ道があるところ。

私はマイナス思考なので、フリーライターとして仕事がうまくいっているときも「調子に乗っていると仕事が急に来なくなるかも」としばしば塞いだ気持ちになっていました。藝大も、十代で入っていたら自分の音楽の素養のなさに落ち込んで、逃げ出していたかもしれません。

どちらのポジションにいるときも、二足のわらじを履いているんだと思うことで、自分を追い詰め過ぎずに楽しむことができました。勉強で煮詰まっているときには取材に行くと幸せを感じましたし、仕事で嫌なことがあったときは音楽の勉強をすると救われる心地でした。

社会人失格だったことを考えれば、自分なりにいい方向性を見つけられた4年間だったと思います。

でも、そんな生活も終わりを迎えてしまいました。さて、この先どうしよう? と少し途方に暮れています(笑)。

でもこれまでの経験で実感していることは、人事を尽くしていると、天命のほうからやってくる、ということ。自分なりに準備をしていると「二足目のわらじ」のほうから歩いてきてくれる。紐解いていくと、そうなるだけの情報収集が大切ということかもしれません。

自分なりのアンテナが立っていると、『レ・ミゼラブル』の仕事が舞い降りたように、藝大のアドミッション・ポリシーを見つけたように、自分の進むべき道が見えるような気がしています。

二足のわらじを履いたからといって、それは過程にすぎず、ゴールではない。またこうやって毎日が続いていきます。だからこそ、構えすぎず、人事を尽くしたら天命に従って、あちらからやってきた「わらじ」を履いて進んでいこう。

今は、そんな気持ちです。

町田麻子さんミュージカル文筆家
1980年生まれ、早稲田大学第一文学部演劇・映像専修卒。大手演劇制作会社、出版社などを経て2012年10月、ライターとして独立。数々の大型ミュージカルのオフィシャルパンプレットに寄稿、演劇関連雑誌にて俳優インタビューやレポート記事を執筆。2018年4月より、東京藝術大学音楽学部楽理科に在学中。
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note
取材・文/佐野倫子
構成/山本理沙
写真提供/町田麻子さん
 


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