新居購入時に「援助なし」は普通?


涼子と晃司は、同じ大学の同級生だ。学校近くのコーヒーショップでアルバイトをしていて出会い、大学2年生から交際をスタート。晃司は大手メーカーに、涼子は小さな出版社に就職。さらに3年間の交際を経て、結婚式を挙げた。

 

当初、涼子は女友達が年上の彼氏と結婚してそこそこ余裕のある暮らしをしているのを見て、いいなあ、と羨ましく思うことも多かった。涼子と晃司は同級生婚のため、二人の結婚当初の預金はそれぞれ100万円程度。

 

それでも、正社員の共働きならば生活に困ることはないはずだと自分を励ました。幸いにもしばらくは晃司の会社の社宅に入ることができて、当初のイメージよりも節約することができた。実際貯金は少しずつ増え、そうなれば気楽で対等な同級生婚も悪くない。むしろ自由に人生の舵取りをしたいタイプの涼子にとってはぴったりだった。

その後、マイペースに二人の生活を楽しんだあと、涼子が28歳と30歳のときに出産。二人の娘に恵まれて、社宅が手狭になったこともあり、リーマンショックで金利が下がった今のうちに、と中古マンションを購入した。

その時、涼子の頭には「親に金銭的に援助してもらう」という発想はなかった。都心の、一応は名の通った私立大学に入れてもらって、希望の仕事に就くことができた。それで充分。サラリーマンの両親にそれ以上を望むこともなく、従って神戸に広々とした一軒家を構えている晃司の親からマイホーム購入にあたって一切の援助の話が出なかったことも、意に介さなかった。

ただ、その反動だろうか。

どこかで、長男である晃司や、唯一の孫である由真と絵美のためにもこれまで一切お金を出さない義両親に対して、頼る気持ちも、頼られる覚悟も薄れていった。

イライラすることもない代わりに、意識に上る回数も減っていたというのが正直なところだ。

離れて住んでいたこともあり、完全に独立した「親戚の世帯」として、適度な距離感を持ってうまくやってきた気になっていた。

――それなのに、何の相談もなく近所に引っ越してくるって、なんか……あんまりじゃない!?

晃司から話をきいた3日後。涼子はどうにも収まらずに、しかし引っ越し準備のために上京してくる義両親を迎えに東京駅に向かっていた。

土曜日で、接待ゴルフが入っている晃司に頭を下げられた。二人の娘は学校のあとは友達と遊びに行くようで、いかにも暇な涼子が断るのも気が引ける。4人が住む芝浦のマンションから東京駅は20分ほどだったし、それを嫌がるのも大人気ないだろう。

義両親が何処に住もうと、本人たちの自由ではある。しかし本音ではどうも釈然としない気持ちもありながら、涼子は待ち合わせの改札口に到着した。

義母に会ったのはコロナ禍以前。次女の絵美が、長女の由真と同じ都立中高一貫校に合格したときにはオンラインでお祝い会をしたものだが、それ以来やり取りはしていない。よく考えれば姉妹二人とも「合格祝い」を包んでもらえなかったことがちらりと頭をよぎる。

金額の問題ではなく、初孫の門出を祝う気持ちがないのだろうかと僻んだ考えが浮かび、そんな発想はまったく良くないと自分に言い聞かせた。

その時、背後から大きな声がした。

「涼子さん! 久しぶりねえ、元気にしてた!?」

振り返った涼子は、なんとか満面の笑顔を浮かべかけたものの「あること」に気が付き、ぎょっとした。