作り出された「同調圧力」は、不可能を可能にする


また有名な、尼崎での連続変死事件では、リーダー格の女に取り込まれ多数が“擬似家族”として共同生活をしていたが、ここでも「同調圧力」が働いていると思しき場面は多々見られた。たとえば、かつて“擬似家族”だった1人が、リーダー格の女に取り込まれる最中の様子を、調書でこのように述べている。理不尽な言いがかりをつけられ、女から呼び出されて話し合いに参加したときのことだ。

「女がなんか、話を仕切り始めました。そしてしばらくして私の婚約者に対して、いきなり怒り始めて、挨拶しなかったとか、『何やのあんた、帽子も取らんと!』と怒鳴り散らしました。どのくらいの時間かは覚えてないですが、すぐには終わらなかったです。終わったのは夜中、明け方……3時くらいと思います。女が『夜、気ぃつけて歩きや。警察は24時間守ってくれへんで』と脅してきました」

帽子を取らないことなど、取るに足らないことではないか……そう思ってはいけない。この集団においては、帽子を取らない人物は“非常識”なのだ。リーダー格の女がその場で作り上げた「同調圧力」である。その日に帽子を取らなかった人物は、集団において“異物”として扱われてしまうし、以降の話し合いでは当然、帽子を外すことが、その集団の“当たり前”になる。

 

枚挙にいとまがないのだが、少なくとも事件においては、外から見れば「どうでもいい」ことや「考えられないような」ことを可能にしてしまう局面において、同調圧力が顔を出しがちだ。そうしないことがおかしい、という空気を作り出し、不可能を可能にする。

 

これは事件だから自分には関係ない話、と思わないでほしい。事件でなくとも、集団のなかで「そうしないことがおかしい」あるいは「そうすることがおかしい」という空気を作り出され、動きづらくなることは、多々あるはずだ。「安全で安心な町」に住む者たちのように、いつしか慣れてしまうこともあるだろう。もっと言えば、自分がその同調圧力の存在に気づいていない場合すらある。少数意見を持ち、息苦しくしている誰かの行動を、知らないうちに強制しているのは、あなたであり、私であるかもしれない。

 

『誰かがこの町で』
佐野広実

「王様のブランチ」で大反響、大重版!
ゾクゾクが止まらない、読む前には戻れないミステリー!

高級住宅街の恐ろしい秘密。住民たちが隠し続けてきた驚愕の真実とは?

人もうらやむ瀟洒な住宅街。その裏側は、忖度と同調圧力が渦巻いていた。
やがて誰も理由を知らない村八分が行われ、誰も指示していない犯罪が起きる。
外界から隔絶された町で、19年前に何が起きたのか。
いま日本中のあらゆる町で起きているかもしれない惨劇の根源を追うサスペンス!
江戸川乱歩賞受賞第一作。


佐野広実
1961年神奈川県生まれ。1999年、第6回松本清張賞を「島村匠」名義で受賞。第65回江戸川乱歩賞最終候補。「わたしが消える」で第66回江戸川乱歩賞受賞。本作が受賞後第一作目となる。



文/高橋ユキ