“当時の母親”は、今は存在しない


過去の理不尽な言動に対して、思い出したところで、今、母親が私にしているわけではありません。
だから、「“当時の彼女”は、今は存在しない。いるのは、“今の彼女”だけだ」と言い聞かせることも大切です。

過去の理不尽な行いについて、今更怒ったところで、母親だって、今はそんなことをしたことすら、忘れているでしょう。大概、理不尽な行為をしたほうは忘れ、されたほうが覚えているものです(苦笑)。

結局、自分が大人になったからこそ分かるのは、「親だからって、そして、大人だからって、いつでも“正しい言動”ができるわけではない」ということ。今の私のほうが、当時の母親よりも年上になっているので、尚更、感じます。
だから、当時の母親も子供の心を傷つけようとしてしたわけではなく、ただただ「未熟だった」ということなのです。

相手を「悪い人だ」と思うから、苦しんでしまうわけで、「未熟な者同士が、奮闘し合ったのだ」と思えたら、少しは許せるようになるのかもしれません。

 


思いを消化し、許すことで、卒業できる


当時の出来事がどうであれ、自分がそのときの思いをきちんと消化し、相手のことを許すことで、ようやくその状況から卒業できるものなのかもしれません。
逆に、恨み続けていては、なかなか終わらせられません。だから、“自分のため”にも、自分が一歩大人になって、もうそのことは水に流せるようになったほうがいいのです。

もしかしたら、そんな“大人の対応”ができる今だからこそ、保留にしていた出来事が自分の中から出てくることもあるのかもしれません。今までその課題はずっと残っていたけど、「ようやくクリアできるときがきた」ということなのでしょう。
生きていると、そんな“保留中だった人生の課題”がしばらく経ってから表れることは、多々ありますよね。

ただ、記憶というのは、なにも悪いことばかりではありません。いい記憶を思い出すこともあります。
それで言うと、親がしてくれたステキなことを、子供はすっかり忘れてしまっていることが多いんですよね(苦笑)。それについては、次のページで紹介します。