「真凛のご両親には、僕も会わせてもらってないんだ。でも、真凛が嫌がるからには、きっとよほどの理由があるんだと思う。ご両親は離婚していて、お母さんは真凛のこと、ほったらかしで育てたみたい。小学生から家事は全部自分でやってたって。でも、夜の仕事でお金は稼いでくれて、真凛の専門学校代は100万円出してくれたらしい。足りない分は教育ローンを借りたから、真凛は今でもそれを返してるんだよ」

「まああ……それは親の責務を果たしているとは言えないわ、真凛さん、苦労したのね。でもね、光輝、そんなおうちの子と結婚したら、あなたもきっとこの先苦労するわよ? その親御さんが生活費を援助してって言ってくるかもしれないし、真凛さんは子どもの受験のあれこれをうまく立ち回れるのかしら? 

光輝の同級生たちはみんなしかるべきお嬢さんと結婚して、家のことも子育てのことも、きっと上手にやってくれると思うの。きれいごとを抜きにして、東京のエリートの子育ては特殊だしお金がかかるのよ。不文律も多いし、そういうのを知らない母親は苦労するわよ」

 

早穂子はこの数週間考えていたことを、一息に光輝に伝えた。だからと言って、お腹に子どもがいる真凛を捨てろという気はもうなくなりつつあった。

ただ、覚悟が必要だ。あうんの呼吸で東京の恵まれた世界を享受する夫婦にはなり得ないことを。自分が受け取った「恩恵」を、これから生まれてくる子どもに与えるためには、光輝が真凛をカバーしなくてはならないことを。

 

この格差社会で、子どもを育てるには、細心の注意が必要だ。ぼんやりしていると、あっという間にライバルの後塵を拝してしまう。早穂子が、どれほど神経を張り巡らせて、この「上澄みの1%」に光輝を押し上げたか、彼には想像もできないだろう。

「いいんだ、お母さん。僕はこのラットレースに、真凛を参加させるつもりはない。だからお受験もしないよ」

「真凛さんじゃないわ。レースに参加するのはあなたの子どもなのよ! 武器もナシに、この不安定な世の中に放り出すの?」

ついに声を荒げる早穂子に、光輝は、しかし煽られる気配もなく静かに首を振った。

「お母さんのいう武器は、学歴や職歴だろ? 僕は、ちょっと違う方向で、子どもに人生を切り拓いてほしい。いい集団にいることが価値、みたいな時代は終わりを迎えると思う。僕は、例えば開成と東大を出てなくて、あの銀行に勤めてなかったら、世の中でどれほどの働きができるのか、自分を認められるのか、想像もできない。子どもにはそうなって欲しくないんだ」

「開成で東大でエリート行員であることは立派なあなたの能力の証明よ。どうして切り離すの!?」

早穂子の悲痛な叫びに、光輝はなぜかいたわるような目で、テーブルの上の母の手をそっと握った。

「誰かに証明してもらわなくても、自分を信じられて、幸せを感じられる子にしたいんだ。僕やお母さんにはない力だ。そして真凛がお母さんなら、それができるかもしれないと思う。僕らの家とは全然違うからこそ」