歴史は繰り返すのだろうか。

成美の母親も、女手一つで成美を育てた。放蕩者だった成美の父は、まだ赤ちゃんだった成美と母を捨てて、蒸発したらしい。幸いにも、古びた高輪のマンションは祖父母の遺産として成美の母が相続したものだったから、住むところだけは困らなかった。それでも40年ほども前に、子どもを抱え、主婦だった成美の母がどのくらい苦労してお金を稼いだか、成美が忘れることは一生ないだろう。

「成美は男の人に振り回される人生を送らないで」

それが口癖だった母はあっけなく体を悪くして、成美が大学に進学した年に亡くなった。

なんとか学校を卒業し、衣料系専門商社の営業として必死に働いていた20代のとき、思いもよらない話が舞い込む。母と住んでいた古いマンションが大手ディベロッパーの再開発エリアにあたり、部屋を買いあげてくれるというのだ。

築45年の2LDKに、6000万円が提示された。周辺の相場を見ても、それは悪くない話だった。ところが、当時付き合っていた彼が不動産会社に勤めていて、アドバイスをくれた。

「新しく建つマンションの部屋と交換にすれば、地権者ならある程度部屋を選べるはず。このエリアは化けるからそうすべきだよ」

そこが運命の転機。成美が交換で得た角部屋の価値は、のちに3億ほどに跳ね上がった。そのマンションは、上がり切ったところを見極めて、最近売却した。

転がり込んできたマンションを抵当に資金を調達した成美は、大勝負に出る。会社を辞めて、商社時代のパイプを活かし、中国の工場と直接契約して受注したアパレル製品の下請け企業を設立。比較的お金が投下されやすい子供服に絞り、品質にこだわったことが奏功した。数年でいくつもの有名メーカーが契約したのは、成美の交渉術と商売勘の賜物だった。

 

マミの父親は、今どこでどうしているのかは、知る由もない。独立して忙しい時期、ライトな関係で子どもが出来たとき、一緒に育てようとも、ましてや結婚しようとも伝えなかった。子どもは欲しい。でも、自分より稼がない男に用はない。

成美は、意図的なのんびりした話し方と女らしい顔つき、体つきであることから、よく勘違いされるが、極めて男まさりで計算高い性格だ。

自分ほど底意地が悪く、プライドが高い女はそういないと思う。それはやはり、悔しいけれど苦労した幼少期が関係しているのかもしれなかった。

娘の中学受験に際しても、完璧に作戦を練って臨んでいる。シングルだからって「親ガチャに外れた」などとは思わせたくない。受験もビジネスも、大切なのは情報と戦略だ。ふわふわと専業主婦をしているママ友たちとは、くぐった修羅場も負った傷も数が違う。

だからといって、周囲にそれを気取られたり、成績がいいことを自慢したりは絶対にしない。虎視眈々と、情報戦に勝つ。

それに結局のところ、中学受験は地頭の要素が強い。成美はろくに塾も行けないなか、県で一番の進学校を出て、奨学金で早稲田に進んだ。港区のゆるふわママとは努力と根性の量が違うと思っている。だからこそ、ママ友たちが憧れる「高級タワーマンション」に住んで、ことさらエレガントに、おっとりと振舞う。それが成美の小さな復讐だ。

しかし、そろそろポーズを取っている場合じゃない。決戦が近づきつつあった。どこぞのお嬢様ではないマミは、絶対に成功しなくてはならない。シングル家庭だからこそ、ここで誰もが認める「わかりやすいパッケージ」を手に入れておくのが得策だ。東京でもっともコストパフォーマンスがいいエリート層への切符は中学受験だと、成美は知っていた。