【なんならあざとく攻めてみる】

「今日は◎◎さんに会えるんで気合い入れてきました!」
(コミュニケーションとしてはいいと思うけど、自己肯定感がミクロの僕には難易度が高すぎる)

「わ〜い。●●さんに褒められて、このニットも喜んでます」
(あえての洋服を擬人化。スベッたら白い目で見られるので心して臨むべし)

「中身はもっと素敵ですよ」
(こんなこと言えるメンタルの太さがあったら苦労はしてません)

「でしょう? 着てる人間がいいからです」
(こういうのを嫌味なく言える人は、きっと愛されるんだろうなと思います)

「うれしい。これから勝負服にしますね」
(1回でいいから、こういうことをサラッと言える人生を歩んでみたい)

考えるまでもないけど、このへんの芸当ができる人間ではない! 来世、田中みな実に生まれ変わったら挑戦します。


【開き直って社会派を気取ってみる】

「このご時世に他人の外見についてふれるのはルッキズムの観点から考えてどうかと」
(友達をなくす覚悟があるなら言ってもいいと思う)


ざっと思いついたのは、このあたり。なんだかんだいけそうなのは【まずは積極的に肯定してみる】か【さっと話題をすり替える】でしょうか。特に「これに合わせるジャケットが今ほしいんですよね」あたりは肯定も否定もせず自然に会話が進んでいきそうな気がするのだけど、どうでしょうか。

ただ、服はまだガワというか、直接自分を褒められているわけじゃないから、うまいこと受け流す方法がある。もっと困るのは、自分自身であったり、ポータブルスキルそのものを褒められたときだ。

僕の場合は、やっぱり文章。文章について褒められると、脳が完全にバグります。繰り返しますが、うれしいんですよ。もう、本当、めちゃめちゃうれしい。生きてて良かった〜くらいのうれしさはある。

でも、「素敵な原稿をありがとうございました」と言われるたびに「駄文で恐縮です」みたいな謙遜が先に出ちゃうし、それこそ現場で「いつもツイッター楽しく読んでます」なんて言われた日には「お目汚しすみません。本当、今すぐフォロー外してください〜」と必要以上にへりくだって相手を困らせてしまう。

これはもう自信がないというよりは、人から好意的な反応を示されることに慣れてなさすぎるのだろう。だったら好意に慣れることが解決法なんだけど、そう簡単にいかないのが、こじらせ人生の難儀なところ。


以前、ちょっとだけジムに通ってパーソナルトレーナーについてもらったことがあった。そのときに何がいちばん嫌だったかと言うと、こういうボディメイク系のトレーナーは何かにつけて褒めるのだ。ちょっと腹筋ができたら「すごい!」と称え、前回より多く回数をこなせたら「ナイスファイト!」と持ち上げる。これによって自己肯定感がめきめき上がる人もいるらしいのだけど、僕は逆でどんどん居心地が悪くなって、あっという間に辞めてしまった。

 


人からの好意を素直に好意として受け止める。たったそれだけのことがいまだに僕は上手にできない。でもそれだと損をするのは自分なのだ。うれしいことを言ってもらえたら素直に「ありがとう」。そう言えるのが、素敵な大人の第一歩なんだと思う。

とりあえずTwitterで記事の感想をくれた人に、ちゃんとお礼を言うところから始めてみようか。自分なんかが「いいね」を押したら相手が引かないだろうかと怯えながら、今まさにプルプルと震える手でハートマークをクリックしようとしている――。
 

イラスト/millitsuka
構成/山崎 恵
 

 

 

前回記事「スーパーで惣菜を買う高齢男性に「かわいそう」。自分の中の“色眼鏡”に辟易とした話」はこちら>>

 
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